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さて、これまで出版への道を志すことになった経緯、想定読者に伝えたいことを書いてきました。 (こちらのページ参照)
前回は、自分の生き方を変えようとした時に生じる、「不安」を乗り越える勇気を持つことについて書きました。
今日は、「他者に貢献する」という強い思いで不安を乗り越えたとしても、いずれその貢献を他者に評価して欲しいという欲求に遭遇することについて書いてみます。
他者から認められることを優先すると、それは不自由な生き方になる
自分の思考を内向きから外向きに変えて、自分の「強み」を生かし、他者に貢献するという強い気持ちを持つと、その達成に向けて力が湧いてきます。
問題は、その力をどうやって持続させるか、です。なんでもそうですが、人間は何かを長期間に亘って持続させることが本当に苦手な動物だと思います。
一つは飽きてしまうことがあります。また、自分のしていることを誰にも認めてもらえないと、気持ちが萎えてしまうことがあるでしょう。いわゆる承認欲求ってやつです。
以前、このブログで「自分の内面に巣くうモノ達 (世間体・見栄・プライド) と戦い、勝つには?」という記事をアップし、この記事中でも承認欲求について触れています。
でも、今回の承認欲求は、少し違います。要は、自分のしていることを評価して欲しい、認めて欲しい、褒めて欲しい、という一種の「見返り」を求める欲求です。
こうした気持ちは、ごく自然なものです。でも、その気持ちが行き過ぎると、他者が評価してくれる、褒めてくれることを優先し、その方向へ短絡的に行動することになります。
それでは、自分の進む道を他人に決められてしまうことになりかねません。そんなことになったら、とても不自由な生き方を強いられることになります。
なぜそんな生き方を選ぶのでしょうか。それは、要するに誰からも嫌われたくないからです。
しかし、周囲に10人の人がいて、全員の期待に応えようとしても、そんなことをずっと続けることは無理です。
他者の期待を満たすように生きること、自分の人生を他人任せにすることは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方と言えます。
ほんとうの自由を手に入れるには?
他者から嫌われたくないと思うのは自然な欲求であり、衝動です。しかし、こうした欲望や衝動のおもむくまま生きることを「自由」とは呼べません。
ほんとうの自由とは、こうした欲望や衝動に従って坂道を転がり落ちる石になることではなく、転がる自分を下から押し上げていくような態度を持ち続けることでしょう。
すなわち、ほんとうの自由とは、他者からプラスの評価はありがたく頂戴するにしても、マイナスの評価を恐れず行動することで得られると思うのです。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして、対人関係における自由のコストとは、他者からマイナスの評価を受けることなのです。
僕が、2013年から座右の銘に加えた言葉に、次のものがあります。
【かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め】(こちらの記事参照)
一定の年齢に到達していれば、それまで多くの人にお世話になったはずです。
ですから、「他者に貢献する」と決めて行動するならば、その行動に対して相手から直接何か見返りを求めるのではなく、過去お世話になった方々に恩返ししているのだ、と考えるべきです。
もちろん、その行動が対価を受けてしかるべきサービスの提供であれば、ありがたく報酬として受け取るべきですが。
いずれにしても、「他者への貢献」に関する自分の強い思いを信じ、自分の行動に対する短絡的な評価など気にせず、進んでいくことが肝要だと思う次第です。
さて、また長くなってきたので、続きは次回に。
では、また!
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(2018.1.23記)