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さて、「今日の一言メモ」第323回です。
「仏作って魂入れず」
仏作って魂入れずとは、仏像を作っても、作った者が魂を入れなければ、単なる木や石と同じであるという意味です。
転じて、物事は仕上げが最も重要であり、それが欠けたときは作った努力も無駄になるという教えになっています。
単にインプットを増やしても、魂が入らない
昨日は、「いくつになっても、旅に出て新たなインプットを得て、自らのクリエイティビティを養う必要がある」というタイトルのブログ記事をアップしました。
そして、その中で「常にインプットをして材料を集め、そこに自分のクリエイティビティを加えて新鮮なアウトプットをすることが大切だ。」という本田直之氏の言葉を紹介しました。
この中にある「インプット」「クリエイティビティ」「アウトプット」というキーワードについて、僕なりに解釈していることを記しておきます。
まず「インプット」です。旅に出れば、新たな場所、新たな人、新たな体験と出会います。そして、それをメモや画像、動画といった形できちんと残しておかないと、「あー、いい旅だった」というだけで、記憶はいつか忘却の彼方に消えていくでしょう。
では、記録を丹念に残しさえすればいいのでしょうか?それでは、単なる記録のコレクターになってしまいます。
過去の体験と新たな体験を掛け合わせ、自らのクリエイティビティを醸成する
人間の脳とは不思議なもので、過去に体験したいくつものことを大事に引き出しにしまっておいてくれます。
そして、新たな体験をしたときに、それに触発された引き出しがいくつも開いて、それらが融合していきます。
それらを反芻していると、最初、ごった煮のように纏まりのない形をしていたものが、段々とある思いに形を整えていきます。
それこそが、まったくオリジナルのクリエイティビティでしょう。
オリジナルのクリエイティビティを加えて、アウトプットを残す
そうしたインプットと反芻を重ねるうちに、過去の体験や内面の思いと化学反応を起こし、自らのクリエイティビティが醸成されます。
そのオリジナルのクリエイティビティを加えて、新たなアウトプットを残していきます。
そうしたアウトプットは、一つの文章としてノートに纏めることでも、ブログにアップすることでもいいと思います。とにかく、なんらかの形を残しておくことが必要だと思います。
アウトプットがいくつも積み重なると、またそこに新たな化学反応が起きるはずです。
アウトプットは、何も他の人に向けて行うだけではありません。未来の自分に向けたアウトプットでもあるのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.1.14記)