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さて、「今日の一言メモ」第423回です。
「長者の万灯より貧者の一灯」
「長者の万灯より貧者の一灯」とは、金持ちが見栄をはったり、儀礼的に多くの寄進をするよりも、貧しい人が真心を込めてする寄進のほうが尊い、という意味です。
大事なのは量や金額ではなく、誠意の有無だという教えですね。
古代インドの王である阿闍世王 (アジャータシャトル) が登場する『阿闍世王受決経』という経典にある、以下の故事に基づくそうです。
阿闍世王が釈迦を招待したとき、宮殿から祇園精舎へ帰る道を、たくさんの灯火でともした。
それを見た貧しい老婆が、自分も灯火をしたくてなんとかお金を工面し、やっと一本の灯火をともすことができた。
阿闍世王がともした灯火が消えた後も、老婆がともした一本の灯火は朝になっても消えなかったという。
浄財とそうでない金銭
世に浄財 (じょうざい) という言葉があります。寺院や慈善のために、個人の利益を離れて寄付する金銭のことを指します。見返りなどは求めていないわけです。
コロナ禍で国民の多くが苦労する中で、多くの寄付が医療機関に寄せられていることなどはいい例でしょう。
一方で、下心見え見えで寄付する金銭もあることでしょう。政治家に資金を寄付する行為も、一歩間違えば見返りを期待した不正なものになってしまいます。
政治家の中には、お金の使い方を間違う方もいるようです。自民党の河井案里参院議員とその夫で前法務大臣の河井克行氏は、公職選挙法違反で立件されそうです。
事実がどうかは与り知りませんが、今のようなコロナ禍の時代にあると、まっとうな政治家とそうでない政治家の違いがあぶり出されてくるように思います。
色の違いをきちんとわきまえる
お金自体に色はありません。その使い方で浄財にもなるし怪しげなお金にもなります。
人間が生きていれば、さまざまな意思に基づいて行動が規定されていきます。邪な気持ち、下心のある気持ちが底にあれば怪しげな意思決定がされるでしょうし、志ある気持ちがあればそれは高潔な意思決定になるでしょう。
今の自分の意思は何色なのかを常に意識し、その色が曇っていないか常に確認することが必要ですね。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.5.15記)