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さて、「今日の一言メモ」第474回です。
「瓜田に履を納れず」
「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」とは、疑念を招くような行為は避けよという戒めです。
瓜畑で靴が脱げても、ウリを盗むのかと疑われる恐れがあるので、かがんで靴を履き直すようなことはすべきではないという教えからこう言われるようになりました。履を納れず」は、靴に足を入れるという意味です。
『文選・古楽府・君子行』に、「君子は未然を防ぎ、嫌疑の間に処らず、瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(すぐれた人は事件が起こる前にそれを予防し、あらぬ疑いを抱かれるような立場に身を置かない、瓜畑では靴を履き直すことをせず、スモモの木の下では曲がった冠を正すようなことはしない)」とあるのに基づくそうです。
「瓜田に履を納れず」より「李下に冠を正さず」の方が一般的でしょうか。
誤解を招くのは、視点が一つしかないため
なかなかできないことの一つに「相手の立場に立ってものを考える」ということがあります。自分はそんなつもりで言ったのではないのに、相手に誤解されてしまうことがあります。
そんなときは、相手の理解力のなさに責を帰すのではなく、自分の言葉が足りなかったことに気づくべきでしょう。では、なんで言葉が足りなかったのでしょうか。
多くの場合、自分の言葉が拠って立つところが自分のスタンスであり、そのスタンスが前提で紡がれた言葉によって誤解を生むことになるのだと思います。
自分にとって自明の理であることが、相手にとってはまったく違うことがあります。典型的な例は、世代の違いでしょうか。昭和の価値観を背景にした言葉が、平成に生まれ育った世代に誤解を受けるのは、ある意味当然のことでしょう。
日頃から1対1のコミュニケーションでも、その場を3台のビデオカメラが撮影していると想像しろ、と言われています。1台は自分の目、2台目は相手の目、3台目は横で見ていると仮定した第3者の目です。
その3台が映し出す映像を瞬時に切り替えながら、あるいは同時に再生しながら観察する訓練をするのです。
ビデオカメラが1台しかなければ、自分から見える相手しか映し出されません。それが相手の目、第3者の目を意識することで、自分の口から発せられた言葉を客観的に捉えることができるはずです。
3台ものビデオカメラの映像を想像することは難しいと思いますが、できるだけ機会を捉えて訓練することで、見方が変わってくるはずです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.7.11記)