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さて、「今日の一言メモ」第499回です。
「長崎原爆の日」
8月6日の「広島平和記念日」に続いて、追悼を捧げる日となりました。今日8月9日は「長崎原爆の日」です。今から75年前の1945年 (昭和20年) 8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下しました。
8月6日に広島と襲ったものと同様、長崎市松山町の500m上空で爆発したのです。一瞬のうちに、約7万4千人の市民が死亡し、約7万5千人が重軽傷を負いました。そして、その後長い期間にわたって苦しむ人々を生み出しました……。
非戦闘員である一般市民を大虐殺したことは国家的犯罪行為
広島で約14万人、長崎で約7万4千人、合わせて20万人を超える一般市民が、たった2発の原子爆弾で命を落とし、更に後世に至るまで多くの傷跡を残しました。
軍隊に属する兵士ではなく、非戦闘員である一般市民を大量虐殺したことは、国家によって行われた恐ろしい犯罪行為であり、憤りを禁じ得ません。
日本の敗戦は明らかな状況で、あえて原爆を投下したのは、米軍兵士の損失を最小限とすべく本土決戦を避けるためとも、戦後体制を睨んでソビエト連邦に対して、少しでも優位な立場を築こうとしたためとも言われています。
米国内でも、非人道的な原爆投下には反対意見が多かったと言われています。そんな状況で、無残にも犠牲になった方々、長い苦しみを余儀なくされた方々の無念を思うとやりきれません。改めて哀悼の意を表し、手を合わせたいと思います。
自軍の犠牲者をこれ以上出さないため戦争を早く終わらせる、などという目的で、一般市民を大虐殺したことが戦勝国だからと正当化されていいとはとても思えません。
目的は手段を正当化しない
我々の住む世界でも、どんなに崇高な目的であろうと、そのためならどんな手段も許されるわけではありません。
よくドラマで悪役の政治家が「これは日本のためなのだから、少々の犠牲はやむを得ないのだ」などとうそぶき、主人公にやっつけられます。どんなことをするにしても、少なくとも法を犯さないこと、人を傷つけないこと、人を騙さないこと、嘘をつかないことなどは守らないといけないでしょう。
「嘘も方便」と言いますが、これは窮地に陥った人を助けるためにつく嘘はやむを得ない、という意味で、自分のためにつく嘘はダメということです。
どんなことがあっても、棺桶に足を突っ込むときに悔いを残したくないと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.8.9記)