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【昭和の日】・・・激動の昭和を振り返り、アフターコロナに待ち受ける令和の人口減少という静かなる有事を憂う

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(画像出典元はこちら

閑話休題。

さて、今日4月29日は「昭和の日」です。今から120年前、1901年(明治34年)のこの日に昭和天皇が誕生されたのです。なので、昭和の間は「天皇誕生日」でした。

昭和天皇の終戦秘話

激動の時代に、天皇として生きられた昭和天皇は、第二次世界大戦で敗戦した時、戦争責任者として処刑されてもやむをえないような状況でした。

終戦を迎えた1945年の9月、昭和天皇は時の占領軍GHQ総司令官マッカーサーに面会を申し込み、一人で赴かれました。その会見時の写真は、当時新聞の一面に掲載され、それは日本の敗戦を国民に決定的に印象づけるものでした。

そして、この時にマッカーサーは、死を覚悟して会見に臨んだ昭和天皇の真摯な態度に打たれた、と後日回想記に書いています。

その後マッカーサーは、アメリカ本国の意向に反して、象徴天皇として天皇制の存続に尽力したり、日本国民の衣食住の援助に力を注いだりしたそうです。

昭和という時代

僕が生まれたのは、1956年(昭和31年)です。戦後から立ち直りつつある時代を描いた映画「三丁目の夕日」の舞台になった東京で生まれました。

時は神武景気に湧き、前年の保守合同で与党が自由民主党、野党が日本社会党という55年体制が確立し、国際連合に加盟した年になります。

当時の池田勇人首相が、1960年に「所得倍増計画」を打ち出し、10年間で国民所得を倍増させるという計画を政策の目玉にしました。実際には、この計画を上回ったのです。

そして、小学校3年生だった1964年(昭和39年)に開催されたのが東京オリンピックです。今度の東京オリパラが決まるまで、東京オリンピックといえば1964年の大会を指していました。

その後、大学に進学・卒業し、社会人となり、1986年(昭和61年)30才で結婚、1989年(昭和64年)に昭和天皇が崩御されるまでは、激動の時代でした。

石油危機などのエネルギー問題の深刻化、そしてイラン・イラク戦争などの地域紛争問題が頻発しました。さらに、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降、急激な円高が進行、輸出産業という外需に頼った経済の舵取りが、内需拡大へと大きく転換し、空前のバブル景気に向かいました。

こうして自分が生まれ育った昭和の時代を振り返ると、高度成長期を経て日本が世界に冠たる経済大国になっていったことが、自分の「価値観」のベースになったことが明確に分かります。

昭和の価値観

当時は、とにかく企業戦士を育てることが、時代の要請だったと思います。昭和世代であれば、「24時間戦えますか?」というリゲインのCMを覚えている方も多いことでしょう。

今、こんなCMを流したら「なんとブラックな!」と炎上必至でしょう。そして、そんな時代の中で、とにかくいい大学を出て、いい会社に入って、必死に働いて出世して高いお給料を貰う。それが当然の目標になりました。

僕が生まれ育った時代は、ベースアップがない年など想像もできませんでした。給料が上がるのは当たり前、ボーナスも増えていくのが当たり前、だから結婚して子どもを作って、住宅ローンを組んで、郊外に一軒家を買うことが当たり前の生き方でした。

しかし、昭和の終わりから平成にかけて、しばらく続いたバブル景気はアッという間に消え去り、失われた10年が20年になり、少し良くなった頃にリーマンショックが世界中を震撼させ、未曾有の不況に陥りました。

昭和の時代にいい会社の代表格だった証券会社や保険会社が次々と消えていきました。一時もてはやされたIT企業も、淘汰が進みました。

平成から令和へ

平成に入って、1995年(平成7年)に発売が開始されたWindows95を契機として瞬く間に普及したインターネットにより、大企業しかできなかった情報発信が、SNSやブログなどを通じて個人でもできるようになりました。

それを後押ししたのが、スマホやタブレットの普及です。今のような状況は、10年前には想像もできなかったと思います。それほどのスピードで進化しています。

今や大企業や中央官庁に就職するだけでなく、さまざまな可能性があることを、いち早く起業家として歩み出した先人達が示してくれています。

そして、明治、大正、昭和と戦争のない時代はありませでした。幸運にも平成の時代は、戦争がない時代となりましたが、その代わり天変地異が相次ぎました。

その平成も終わり令和の時代を迎えました。そして、2年目の昨年(2020年)になって世界は未曾有の新型コロナウィルスの脅威に襲われました。そのウィルスとの戦いは今も続いています。

これまで地震や台風などの自然災害は、その状況が目に見えて分かりましたが、コロナ禍は目に見えません。感染した方、重症化した方、その家族、そして治療に携わる医療関係者以外の人には、ただ普段の日常の景色が見えるだけです。

でも、そこには無数のコロナウィルスが存在し、変異型ウィルスがさらに感染力を強め猛威を振るっています。日本でもやっとワクチン接種が始まり、国民全員に行き渡る量の確保には目途が立ってきました。

あとは、実際にワクチンを注射できる人とスタッフ、そして場所の確保が急がれています。それも今年中に目途が立つでしょうか。一刻も早い接種が求められています。

ヒタヒタと迫り来る人口減少という脅威

ワクチン接種が進み集団免疫を獲得し、治療薬が開発され提供されれば、早晩コロナ禍は去り過去の話題となります。

そして、アフターコロナの日本に待ち受けているのは人口減少という脅威です。令和の時代は、少子高齢化がますます進み、日本の人口減少が本格化します。

(出典元 : 「未来の年表」

出生率と死亡率が変わらない前提で推計すると、100年後には人口が約5,060万人、200年後には約1,380万人になるとされています。

その間に多くの自治体が消滅し、社会保障制度も崩壊し、3000年には人口2,000人となり、どこかの国の属国になっているかもしれません。

人口減少という「静かなる有事」をなんとか乗り越え、子々孫々に夢のある平和な日本を残していけることを切に願っています。

・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2021.4.29記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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Consulting Office SMART代表/富田邦明が人となりをお伝えするために運営しています。

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