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さて、「今日の一言メモ」第665回です。
「運根鈍」
「運根鈍」(うんこんどん)とは、成功するために必要なものであり、幸運に巡り合うこと(運)、根気のよいこと(根)、ねばり強いこと(鈍)、の三つを表しています。
「鈍」とは、すばしこくはないが、図太くねばり強いという意味です。
いい意味での「鈍感力」を持つ
5年ほど前に「鈍感力」という言葉が流行りのフレーズになったことがあります。鋭敏で聡明なことが優れているとされているが、果たしてそうだろうか?小さなことでも動じない一種の「鈍さ」が、先の見えない不透明な時代をたくましく生き抜く源になるのではないか、と問うた渡辺淳一氏の本がその火付け役でした。
カミソリのような切れ味はなくとも、繊細な神経の持ち主でなくても、図太く生きていく生命力が必要な時代かもしれません。
コロナごときにオロオロせず、デンと構えてやり過ごしていく気概があれば、少々のことなどに動ぜず生きていけそうです。
「鈍感力」を正しく持つために
ただ、鈍感力も使い方を誤って、ただの「鈍感」になってしまっては元も子もありません。事の本質はしっかり掴んだうえで、それに動じない強さにしなければなりません。その助けになってくれそうなヒントが、高倉健さんが残してくれた座右の銘にある気がします。
高倉健さんは、2014年11月10日に悪性リンパ腫で、83歳の生涯を閉じました。もう6年以上も前になるのですね……。
その高倉健さんが、死の4日前に完成させた手記の最後に、自身の歩みを次のように記しています。
「出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらにもがき続けてきた」
そして、交流のあった比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたという座右の銘で締め括っています。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
この言葉の意味は次の通りです。
行く道は精進にして
辛いことがあっても、それは精進である。
自分を高めるために必要なことなのだ。
忍びて終わり、悔いなし
それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
精進を貫くために、どんなに辛いことがあっても、それでポキリと折れないために正しく鈍感力を持ち、やり過ごせるようにすること。その力を持てば、辛いことも辛いと感じないで精進に必要なのだから、と受け入れることができるかもしれません。
辛いことさえ自分を高める栄養にしてしまう力、それが「鈍感力」なのだと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.2.9記)