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さて、「今日の一言メモ」第815回です。
「死中に活を求める」
「死中に活を求める」とは、絶望的な状況で、生き延びる道を探すことの例えです。転じて、窮地の打開策として、あえて危険な道を選ぶこと、という意味もあります。
「死中」とは、死や破滅を待つ以外にない絶望的な状況を意味し、「活」は生きることを意味します。助かる道のほとんどない状況から、なんとか生きる方法を見出そうとすることを指しています。
『後漢書・公孫述伝』に「男児当に死中に生を求むべし。坐して窮すべけんや」とあるのに基づくそうです。
困難な状況に陥ったら、難易度の高い脱出ゲームの主人公になったと考える
人間生きていれば、困難な状況に遭遇することは普通にあるでしょう。まあ、死を覚悟するほど絶望的な状況というのは、そうないと思いますが、なんでこんな窮地に立たされなければいけないのだ、と自分の運命を呪いたくなるようなことはきっとあるでしょう。
そんなときに、その運命を呪い、怒り、恨み、悲しみ、悲憤慷慨しても、思考はマイナスのスパイラルを描き自分を追い込むだけです。
そんなとき、自分はそんな窮地から脱出する難易度の高いゲームの主人公なのだ、と考え、この窮地を脱出すれば、あたかも最終局面でラスボスを打ち倒したのと同じ程度の高得点を獲得できるのだ、と戦闘意欲を高めてみてはどうでしょう。
そして、知恵と勇気と度胸と行動力を発揮して、その窮地を脱出すれば、実に格好良い姿を見せることができます。こんな風に自らの人生を物語化して捉えることは、案外自分を客観視するのにいい方法だと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.10.25記)