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12月20日は、1904年に日本初のデパートが開業した日 – それは常識への挑戦だった –

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さて、「今日は何の日?」シリーズ第136回をお送りします。

今から110年前の1904年12月20日に、東京・日本橋の三井呉服店が三越呉服店と改称し、日本初のデパート式の営業を開始しました。

そして、この日が「デパート開業の日」と制定されました。

「デパートメントストア」宣言

そもそも、三井呉服店の発祥は、1673年に伊勢商人・三井家 (三井財閥) の三井高利が、江戸本町一丁目 (現在の日本銀行辺り) に、間口9尺 (約2.7m) の小さな店舗を借りて呉服店「越後屋」を開業したことに始まります。

その後、両替店 (現在の三井住友銀行に発展) を併設したり、火事にあったり、移転したりした後、1893年に越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組しました。

(出典 : Wikipedia)

(出典 : Wikipedia)

1900年には、時代劇でお馴染みの帳場での座売りを全廃し、建物全てを陳列場として全館開場したそうです。

開店からお客さんで大賑わいとなり、午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況だったとか。この時から女子社員の採用を開始しました。

1904年に 「株式会社三越呉服店」を設立、顧客や取引先に三井・三越の連名で、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだ案内と、今後の方針として「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店となったわけです。

三越呉服店内部

三井高利と越後屋

三井家(三井財閥)の元祖である三井高利によって創業した越後屋が発展して、日本初のデパートになったわけですが、下記のような当時では画期的な商法を次々と打ち出して、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民に普及させたそうです。

店前現銀売り(たなさきげんきんうり)

現金をたてまえとした店頭販売の実現。当時、あらゆる商売は、得意先に行って注文を聞き、あとから品物を持って行く「見世物商い(みせものあきない)」か、直接商品を得意先に持って行く「屋敷売り」が普通だった。

得意先は大名、武家、大きな商家で、支払いは年に一度の「極月払い」か、年に二回の「節季払い」だった。資金の回転がなく、回収不能など危険負担が大変大きかった。

現銀掛値無し(げんきんかけねなし)

当時、値切られることを考慮して客に最初に提示する値段を実際の売値より高く提示し、客によって値段を上げ下げするのが慣習だったが、「正札販売」、つまり値段を札に書いて商品につけて実際のその価格で販売。「正札付き現銀掛値なし」として定価販売を世界で初めて実現した。

小裂何程にても売ります(切り売り)

呉服屋では、反物単位の販売しか行なわなかったが、客の需要に応じての切り売りは一般庶民から大好評を博し「日本永代蔵」で「ビロウド一寸四方でも売っている〜一寸四方も商売の種〜」と描写される。

その他、商業施設としては日本で初めてエスカレーター・エレベーターを設置したり、大食堂に子供の好きなメニューをひとつの皿に盛った「御子様洋食」(現在のお子様ランチ) を登場させたりもしたのです。

常識への挑戦

というわけで、時代劇に登場する帳場方式の呉服店が、今のようなデパート形式になるまでの具体的なイメージが描きにくかったのですが、やはり人間の創意工夫によって、海外文化を取り入れつつ、新たな世界が造られていったのですね。

それまでの常識を覆すようなアイデアを次々と思い付き、そして実現させていく。それが常に変革を実現させるエネルギーになったわけです。

年齢を重ねると、常識を疑うのが段々と難しくなることを実感しています。また、新しい年を迎えるこの時期に、改めて考えてみたいと思います。

そして、「常識への挑戦」を、2015年の新しいチャレンジの一つにしたいと思う土曜日の朝なのでした。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2014.12.20記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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