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さて、今日6月15日は、新潟県長岡市が1996年に制定した「米百俵デー」だそうです。
「米百俵の精神」とは?
今から17年前、2001年当時の内閣総理大臣・小泉純一郎氏が、その所信表明演説で「米百俵の精神」を引用したことで有名になり、その年の流行語になったことを年配の方なら記憶されているのではないでしょうか。
では、その「米百俵」とはどのような内容だったのか、Wikipediaから一部引用してみましょう。
河井継之助が率いた北越戦争 (戊辰戦争の一つ) で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。
このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。
藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。
藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきった。
この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。
国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となった。なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学も出していた。
ということで、その「国漢学校」が開校したのが1870 (明治3) 年6月15日であり、それを記念して「米百俵デー」が制定されたわけです。
そして「米百俵の精神」は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語として、語り継がれてきたわけですね。
今の贅を慎み、将来の糧となることに投資する
「米百俵の精神」をもってすれば、収入の使い道も自ずと決まってきますね。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、買いたいものを買うのではなく、将来に役立つ本を買う、セミナーに参加する等の自己投資が大切になってきます。
勿論ご褒美は必要ですが、それが過度の浪費になってしまっては、元も子もありません。
毎時毎分、命を削っている時間の使い方も然りです。
今一度、自分の日常を点検し、お金や時間の無駄遣いがないか、将来に向けた投資を怠っていないか、見直さなければと思った梅雨寒の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2018.6.15記)