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「忠言耳に逆らう」
「忠言耳に逆らう」とは、忠告の言葉は、聞く者にとっては耳が痛いから、素直に受け入れられにくい、という意味です。
真心を込めて諌(いさ)める言葉や忠告は、聞く側にとっては辛いので、なかなか素直に受け入れられないものです。
「忠言」とは、真心を込めて諌める(=不正や欠点を改めるよう忠告する)言葉のことです。
『論語』に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書『孔子家語・六本』に、「孔子曰く、良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」とあるのに基づくそうです。
歳を重ねたら、耳に痛い忠告をしてくれる友ほど大切にする
耳に痛い言葉を親身にかけてくれる人は、本当にありがたい存在です。それを言われた時は、どんなに的確な忠告でも、すぐには受け入れることができず反発してしまいがちです。
でも、後になって冷静になって思い返せば、それがどんなにありがたいことか骨身に沁みるでしょう。
人間歳を重ねてくると、なかなかそうした耳に痛い忠告をしてくれる相手がいなくなります。
それが知らず知らず慢心に繋がり、頑固になったり、パワハラをしてしまったりするのかもしれません。
やはり、あの「知」を追求したソクラテスの次の言葉を忘れてはいけないでしょう。
「私に分かっていることは、私が知らないということだ」
この言葉を機会ある毎に反芻し、「実るほど頭を垂れる稲穂かな、だぞ…」と常に自分に言い聞かせたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.6.26記)