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さて、「今日の一言メモ」第740回です。
「米百俵デー」
今日6月15日は、新潟県長岡市が1996年(平成8年)に制定した「米百俵デー」です。
一定年齢以上の方でしたら、今から20年前、2001年当時の内閣総理大臣・小泉純一郎氏が、その所信表明演説で「米百俵の精神」を引用したことで有名になり、その年の流行語になったことを記憶されている方も多いのではないでしょうか。
では、その「米百俵」とはどのような内容だったのでしょうか?Wikipediaから一部引用してみましょう。
河井継之助が率いた北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。
このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。
藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。
藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきった。
この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。
国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となった。なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学も出していた。
ということで、その「国漢学校」が開校したのが1870年(明治3年)の6月15日であり、それを記念して「米百俵デー」が制定されたわけです。
そして「米百俵の精神」は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語として、語り継がれてきたわけです。
人を育てるには、時間と手間を惜しまないこと
「米百俵の精神」を読み返すと、以前勤務していた会社員時代に、人事部で新入社員教育をしていた時のことを思い出します。(もう30年位前のことですが…)
当時は、OJTリーダーといって、先輩社員が新入社員にマンツーマンで教育係として3ヶ月間、仕事を一緒にしながら教育を行うOJT(On the Job Training)制度がありました。その当時、先輩社員達を集めたOJTリーダー指導会で、次の寓話を紹介したことがあります。
村にある日、飢えた旅人が辿り着いた。
村人は、旅人に川で釣れた魚を与えようとした。しかし、魚を与えることは、本当に親切なことだろうか?
本当の親切とは、魚を与えることではなく、魚の釣り方を教えてあげることだろう。
新入社員に対して、直面した問題に対する答えをすぐに与えるのではなく、時間がかかっても、どうしたら正しい答えに辿り着けるのか、ということを教えて欲しい、と話したのです。
こうした考え方は、今でも有効です。今は、ITコンサルタントとして中小企業経営のお手伝いをしていますが、人を育てる必要性を説く場面では「本当の親切」の寓話を出してお話しています。
部下が何かの問題に直面したときに、上司がすぐに解決策を指示するのはよほど緊急のとき以外は得策ではありません。まず「君はどうしたらいいと思う?」と考えさせ、もし答えが間違っていても頭ごなしに否定するのではなく、「なぜそうした方がいいと思うのか?ほかに取れるアプローチはないだろうか?」と答えに導いていくことが望ましいわけです。
これは時間と手間がかかることです。忙しいとつい短絡的に対応しがちです。でも、そこはぐっと踏ん張って欲しいと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.6.15記)