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閑話休題。
「袖振り合うも多生の縁」
「袖振り合うも多生の縁」とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるという意味です。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく言葉です。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味で、「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のことを指します。「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいいます。
「思い込み」や「固定観念」
都会に住んでいる人は、一歩外に出れば実に多くの人とすれ違うことになります。袖が触れ合うどころか、通勤電車に乗れば四方八方からぎゅう詰めになり、雑踏を歩けば他人の身体にぶつかることもあるでしょう。
そんな人たちに対して「袖振り合うも多生の縁」と感じることなどできないでしょう。そして、それが当たり前になり、いつしか他人に対して無関心でいることが当たり前になります。
よしんば、見ず知らずの人に縁を感じて(どっかで会ったかも、とか)声をかけても不審者扱いされるのがオチです。そして、そんな生活を繰り返すうちに、一種の「思い込み」や「固定観念」が自分の中に座り込む気がします。
「他人とは関わらない方がいい」「他人と関わると損をする」・・・そんな「思い込み」や「固定観念」が。
電車内でタバコ注意した高校生が暴行された事件
先日、電車内で喫煙を注意した高校生が相手から暴行を受けて顔を骨折するという痛ましい事件が起きました。高校生にはぜんそくの持病がありました。
高校生は、15分にわたって暴行を受けましたが、助けに入った乗客はいなかったそうです。(こちらの記事参照)
SNSでは、まわりの大人が止めに入らなかったことを非難する投稿が相次いだそうですが、では、果たしてその場に自分がいたらなにができただろうと考えてしまいました。
上記記事によると、「暴行している本人を刺激しないように、本人から見えない隣の車両に移り、車両備え付けのSOSボタンを押して車掌に連絡する」ことを鉄道会社は推奨しているそうです。
でも、普段から「他人とは関わらない方がいい」「他人と関わると損をする」という「思い込み」や「固定観念」があると、「SOSボタン」を押すことすら思い浮かばないと思います。
まず自分の身の安全を確保した上で、困っている人を助けるためになにができるのか頭を働かせるという思考回路を持っていたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.1.30記)