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さて、『今日の一言メモ』第896回です。
「他山の石」
「他山の石」 (たざんのいし)とは、他人のどんな言動でも、たとえそれが誤っていたり劣っていたりした場合でも、自分の知徳を磨いたり反省の材料とすることができるという例えです。
中国最古の詩篇である『詩経-小雅・鶴鳴』の「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づくそうです。
「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味で、他人の誤りを自分の修養の役に立てることを指しています。
「他山の石とする」ともいいます。
人の振り見て我が振り直せ
類義の言葉として、「人の振り見て我が振り直せ」「人を鑑とせよ」「人を以て鑑と為す」などがありますね。他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めよということです。
この2年間のコロナ禍を通じて、いろいろな人の行動が気になったはずです。緊急事態宣言が出ているのにお構いなく傍若無人な行動をとる人、自粛警察と呼ばれた過剰反応とも思える行動をとる人もいました。
時間の経過と共に、マスクの着用や手指消毒がすっかり定着し、日本では同調圧力が良い方向に発揮された面がありました。
でも、行動面で制約を受けたことは否めず、緊急事態宣言が出ていれば外で美味しい生ビールを飲むことも叶わず、会いたい人に会えない辛さも味わいました。
何かを失っても、まだ失っていないものに目を向ける
これだけ長い期間、行動の自由を奪われたことはありませんでした。でも、自由を失ったことを嘆き悲しむだけでは負けであることも知りました。自由な行動を奪われても、健康な身体はありました。
何かを失っても、まだ失っていないものに目を向け、その有り難さと大切さに思いを致し、深い感謝の念を持ちたいと思います。そして、今までよりもっとそれらを大事にする機会を得たのだと捉えることが大事でしょう。
その姿勢が、喪失を獲得に変えていくはずです。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以降、つくづくそう感じています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.5.9記)