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さて、『今日の一言メモ』第897回です。
限りある命
3年前の5月7日に義母が亡くなりました。結婚して33年ちょっと、義母には本当にお世話になりました。家族だけでなく、娘婿の僕にも海のように深い愛情を持って接してくれました。
この世に生み出された命が、やがて消滅していくのは自然の摂理です。その事実を心穏やかに受け止めることができて初めて、自らの生と死に向き合うことができるのかもしれません。
人間は死ぬために生まれてきたとも表現できます。人の一生は、死に至る病である、という言葉もあります。悠久の宇宙の営みの中で奇跡のように与えられた我が人生です。広大な宇宙の中で、その人生は一瞬の瞬きに過ぎません。
それでも自分の命が、どこから来て、どこに向かって、何のために生きているのか、何も分からずに生きるのは悲しいことです。
魂は生き続ける
肉体が死んだとしても、その魂は生き続けられると考えられます。義母の通夜の席で、お坊さんから次のようなお話がありました。
仏教では、人がお亡くなりになると御仏(みほとけ)になり、極楽浄土に行くと考えられていますが、必ず大事な人の横に常に寄り添ってくれています。
そして、仏様はいつも見守って下さり、嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は一緒に悲しんで下さる存在になります。
ですから、明日の告別式の後は、終のお別れではなく「また会いましょう」と言ってお見送りして下さい。
大切な人が亡くなった後、生きていた時より故人を身近に感じることがあるのは、そういうことなのだと思います。今でも、亡くなった父や義母が見守ってくれていることを時々感じることがあります。
死は永遠の旅の始まり
人が死んで肉体が滅びた後も、生きていく人たちの花を咲かせる肥料として生き続けることができると言えます。
長い長い旅の中で、この世の人生は死への旅であり、死は永遠への旅の始まりなのでしょう。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.5.10記)