(画像出典元はこちら)
さて、『今日の一言メモ』第956回です。
「面壁九年」
「面壁九年」(めんぺきくねん)とは、一つのことに忍耐強く専念すること、また、長い間わき目もふらずに打ち込んで努力することの例えです。
達磨(だるま)大師が、中国の嵩山にある少林寺に籠り、九年間も壁に向かって座禅を組み、悟りを開いたという故事がその由来だそうです。
「面壁九年」の9年は、3,285日になります。義務教育である小学校の6年間と中学校の3年間を合わせると9年になりますから、相当な期間です。
自らをアップデートさせるために学びは続く
義務教育は9年ですが、多くの場合、卒業してからも高校以降の教育機関で学ぶ期間もあります。中学で卒業してすぐ、あるいは高校・大学を卒業して以降社会人になっても学びは続きます。それは死ぬまで続くでしょう。
職人さんになると、修行が続きます。会社や官庁に勤めてもずっと勉強が必要です。僕は今、フリーランスのITコンサルタントですが、日々新たな知識を学ばなければ、これまでの経験だけではやっていけません。
いつの頃からか、自らの仕事を「顧客アップデート業」と定義し、自らの生き方を「人さまに貢献するために精進し続けること」と定めたのですが、ともすれば現状に安住しそうになる自分がいます。
でも、お客様にアップデートして頂くためには、自らをアップデートし続けなければなりません。そして、人さまに貢献できるだけの人間であり続けるためには、ひたすら精進する必要があります。
高倉健さんが座右の銘を「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔い無し」(※)としたように、死ぬまでその道を全うしたいと思っています。
(※)辛いことがあっても、それは精進である。自分を高めるために必要なことなのだ。それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2022.8.8記)