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さて、『今日の一言メモ』第1057回です。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」とは、人生は長く苦しいもので、努力と忍耐を怠らず一歩一歩着実に歩むべきだという意味です。
『徳川家康遺訓』冒頭の一節で、『論語』にある「任重くして道遠し」を基にした言葉だそうです。
どこかで重荷をおろさないと遠い道は行けない
若い頃、会社の先輩にこう言われたことがあります。「仕事は苦行だから給料が貰えるのだ。だからつらくても苦しくても当たり前だ。」
そのときは「そんなものかなぁ……」と思いましたが、長いこと働いてきて感じるのは、確かにラクして簡単に給料がもらえるのはおかしいけど、楽しんで仕事をするのはアリだということです。
仕事以外でも、いろいろあります。喜怒哀楽というように、怒りを感じることもあれば哀しみを覚えることもあります。でも、喜びも楽しみもあります。
一生重荷を背負ったままでは、きっとどこかでくじけてしまうでしょう。どこかで重荷を一回おろして進むことで、またいつか重荷を背負えるようになるのでしょう。
人生は死への旅、死は永遠への旅の始まり
人はいずれ必ず死ぬのだから、生きるというのは徐々に死に至る病なのだと、これも若い頃に聞いたことがあります。その時も「ふぅ〜ん……」という感じで、すんなり受け容れがたい思いをしました。
そして、今から10年近く前にやっとしっくりくる言葉に出会いました。
人生は死への旅であり、死は永遠への旅の始まりである
そして、同時に聞いたのが次の言葉です。
人間の年齢と人間の成熟さは必ずしも比例しない。生きてきた時間がどんなに長くてもその人が価値ある時間を過ごしてこなかったとすれば、それはこの世に物理的に存在した時間が長かっただけで、運命の女神に翻弄された時間が長かっただけに過ぎない。運命の下僕になるのではなく、自ら運命の手綱を握り、運命と対峙するような人生を決意することだ。
死への旅をする過程では、他人が自分に期待する(他人の)人生を生きるのではなく、しっかり自らが手綱を握って主体的に生きたい道を選択し、その結果についてはしっかり自分で責任を負ったうえで永遠への旅に出たいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.1.14記)