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「鵜(う)の真似をする烏(からす)」
「鵜(う)の真似をする烏(からす)」とは、己の能力を省みず、人真似をして失敗することの例えです。
鵜も烏も同じ黒い鳥ですが、鵜は潜水が得意で、烏はうまく泳げません。その烏が、鵜の真似をして魚を捕ろうとしても、水に溺れるだけという意味です。
単に人真似をしただけでは、すぐに化けの皮が剥がれて「身の程を知れ!」と言われるのがオチです。
「TTP(徹底的にパクる)」ことからスタート
何事も、基本が身に付かないことには、その先に進むことはできません。基本ができていないのに、一人前を気取ると「鵜の真似をする烏」になってしまいます。
例えば、今は一人前の料理人になっている人でも、当然修業時代はあったわけです。職人の世界ですから、きっと手取り足取り教わってきたわけではないでしょう。
長い間、皿洗いや野菜の皮むきなどの下働きをしながら、親方や先輩たちの手元を盗み見て、徹底的にパクってきたはずです。
次は「守破離(しゅはり)」へ進む
武道や茶道、あるいは芸術の分野では、「守破離(しゅはり)」と呼ばれている修業における段階があります。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階です。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階です。
そして「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階です。
「烏(からす)」は、いつまで経っても「鵜(う)」にはなれませんが、人は修練を重ねることで、どんどん進化していくわけです。
たまには「メッキ」を貼る
というわけで、人には大いなる伸び代があるわけですから、今はできないことも長い間努力すればできるようになるはずです。
その可能性を信じて、時には自分にメッキを貼ることも必要かもしれません。背伸びをして、自分を追い込むのです。
今の自分には難しい仕事であっても、勇気を持って「できます!」と手を挙げてみる。そして、必死に取り組んで成果を出す。
成果を挙げることができたら、それはもうメッキではなく本物ということになります。
よしんばうまくいかなかったとしても、次なる機会にチャレンジすればいいのです。うまくいかなかった経験は、絶対次に活かせるはずですから。
野球でも、三振を恐れて打席に立たないことが、一番恥ずべきこととされています。三振しないために、日々素振りをし、ピッチングマシンのボールを打ち続ける。そして勇気を持って打席に立つ。それでも三振したら、また練習の日々です。
人間どんな場面でも失敗を恐れてチャレンジをやめたら、自らの伸び代を自分で潰してしまうことになります。失敗したことは自分の伸び代を証明したのだ、と考えて次のチャレンジに進むことです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2023.4.23記)