さて、今日は「念仏の口止め 」の日だそうです。
「念仏の口止め」の日とは
正月の神様 (年神様) は念仏が嫌いなので、この日の翌日から1月16日の「念仏の口明け」までは念仏を唱えないというしきたりがあります。
というわけで、この日を最後に正月過ぎまで仏事を行わないのです。
12月16日が多いようですが、地方によって日が異なり、兵庫県美嚢郡では12月11日になっています。
また、佐渡では「墓場念仏」という行事があるそうです。これは、12月13日の晩に、鉦 (しょう、平たく丸い蓋形の鐘) を叩き、念仏真言を唱え、三十三ヶ所か五十ヶ所の墓を歩くのだとか。
「念仏の口止め」の日に思うこと
正月の神様である年神様は、五穀の豊作を祈る神ですが、念仏が嫌いなのですね。
昔の人は、そうしたことから正月前後の仏事を避けていたのでしょう。
となると、この1ヶ月はお寺さんが暇な時期になってしまいますね…(^^;
都市部ではあまり聞きませんが、地方では仏事で念仏を唱える時、ほんとに多くの参列者が念仏を唱和します。
僕が経験した仏事では、念仏がプリントされたものが参列者に配布され、それを見ながら皆で唱和していました。
ご年配の方は、そんなペーパーを見ずとも暗唱されているのでビックリした記憶があります。
そもそも念仏は、仏の言葉をとなえることで、自分たちの幸福を願ったり、故人の成仏を願ったりするのです。
そういう意味で、呪文に近いと解釈されてもいるようです。
浄土教においては、阿弥陀仏の名前を「南無阿弥陀仏」と唱えることを、念仏といいます。
阿弥陀仏の名前を唱え、阿弥陀仏に帰依することを念仏とするのが、浄土教の考え方なのです。
唱えることで浄土へと導かれ、救済されるというのが、念仏を唱える理由になっているようです。
・・・というわけで、念仏の意味を考えてしまった「念仏の口止め」の日の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2015.12.16記)