(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第83回です。
周期的にリフレインするイチロー選手の言葉
イチロー選手が選手でなくなった日 (2019.3.21) から20日が経ちました。深夜に行われた引退会見は1時間半に及び、その全文を読み直しています。(こちらの記事参照)
あの日以来、イチロー選手の言葉が折に触れ脳裏に浮かび、反芻しています。やはり、並みの人間ではとても言えないようなことを、サラッと言い放つ内容に唸っています。
今日、反芻したのは次の言葉です。
人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまで『はかり』は自分の中にある。
それで自分なりにその『はかり』を使いながら自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。だから少しずつの積み重ねでしか自分を越えて行けないと思うんですよね。
一気に高みに行こうとすると、今の時分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。
(中略)
でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。
今日は「大仏開眼の日」
ちょっと話は変わりますが、今日4月9日は「大仏開眼の日」です。この日の由来は、今から1,267年前の752年 (天平勝宝4年) 4月9日、奈良・東大寺の大仏が完成し、開眼供養会 (かいげんくようえ) という魂入れの儀式が行われたことにあります。
私達には、奈良の大仏さんとして知られていますね。
(出典 : Wikipedia)
ここでいう「開眼 (かいげん) 」とは、仏像や仏画像を新しく作り,最後に眼を入れて仏の霊を迎えること、または、その儀式を指します。
一方、私達が「開眼 (かいがん) 」と言う時は、物事の道理や真理がはっきりわかるようになること、または、物事のこつをつかむことを指しています。
イチロー選手は「開眼 (かいがん) 」したのか
野球の求道者としてのイチロー選手は、「開眼 (かいがん) 」の境地に達したのでしょうか。
かつて打撃の神様と呼ばれた川上哲治氏は、全盛期にピッチャーの投げた球が一瞬止まって見えた、といいます。
あれだけの偉大な成績を残したイチロー選手ですから、かなりの境地に達したのは事実でしょうが、彼自身はまだまだ道半ばと思っていたに違いありません。
あの日米通算4千本安打を放った時ですら、その裏には8千本以上の凡打があり、そのことに向き合ってきたことが誇りと言っていました。
彼にとっては、完璧な打撃で打率10割を達成した時が、真の「開眼 (かいがん) 」と言える高みだったに違いありません。
ともあれ、我々凡人にとって窺い知ることのできない境地ですが、彼の言う「例え失敗して遠回りしても、それが本当の自分に会うために必要な道」という言葉には、何か救われるものがあります。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.4.9記)