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さて、「今日の一言メモ」第426回です。
「ことばの日」
今日は5月18日ですが、「ことばの日」は 5 (こ) 18 (とば) の語呂合せから生まれた記念日です。そして、ことばを正しく使うように心掛ける日とされています。
人は言葉によって、認識を共有しています。反対に、言葉に出来ない思考・概念は、それを伝えることはとても困難です。
言葉が無い時代の意思伝達は、声を発して相手の注意をひき、ボディーランゲージや絵文字等を指し示すなどによってなされていたと推定されています。
このような行為を何度も繰り返すうちに一定の規則性が生じ、発声行為が規則性のある言葉となり、絵文字等が規則性のある文字へと変化していったと考えられています。
こうして、より高度な言葉の文化が生み出されていったのですね。
「徳をもって恨みに報いる」
この言葉は、「怨みに報ゆるに徳を以てす」「仇 (あだ) は恩で報ぜよ」「怨みは恩で報ぜよ」とも表現されています。
ひどい目にあって怨みを抱くような相手であっても、仕返しをするのではなく、 許しの心で温かく接するべきである、という意味です。
怒りの感情というものは、多くの場合、些細なことが原因で起こるものです。 たとえ憎いと思っても、できるだけ相手を許し、逆に恩恵を与えるような気持で 接するべきである、ということですが、なかなか難しいですよね。
このことわざは、老子の言葉ですが、論語の中にも書かれているようですから、中国では、 かなり古くからあった言葉のようです。
かつて、第二次世界大戦後に、当時の中国の指導者である蒋介石が、日本に対して「怨みに報いるに徳をもってす」と言ったそうです。
怨みに対して報復せず、むしろ徳 (=得、相手の利益になること) をもって報いる。その方が長い目で見てうまくいくし、こちらの徳=得にもなる――これはなかなか高度な政治的判断ですよね。
長期的な視点で対応を熟慮する
ここ数年エスカレートしている韓国の対日外交姿勢は、当時の蒋介石のものとはかけ離れています。そして、中国のコロナ禍に関する対応の推移も首を傾げるものがあります。
自国内の初期対応の遅れから世界的なコロナ蔓延を招いたのに、強権的な自国内封鎖によりコロナ制圧に成功したとみるや、対外的な支援をことさらに喧伝し救世主然と振る舞った結果、各国から顰蹙を買っています。
それはともかくとして、個人の問題として考えると、ひどい目にあって怨みを抱くような相手に、徳をもって報いるような振る舞いができるかと問われると…甚だ疑問です。
ただ、一時的な感情やただ鬱憤を晴らすような言動は控え、一呼吸置いてから、できるだけ長期的な見方をして、冷静な対応を心がけたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.5.18記)