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さて、「今日の一言メモ」第441回です。
「少年老い易く学成り難し」
「少年老い易く学成り難し」とは、人は若いうちから時間を惜しんで、学問に励むべきだという戒めです。
人は、若いうちは先が長いものだと思っているが、すぐに歳をとってしまうもの。反して、学問は容易に修めがたいものであるから、若いうちから時間を惜しんで勉学に励むべきだという意味ですね。
中国南宋の儒学者である朱熹 (しゅき) の詩『偶成』に「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覺池塘春草夢 階前梧葉已秋聲」とあるのに基づくそうです。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずからず、未だ覚めず池塘春草 (ちとうしゅんそう) の夢 階前の梧葉 (ごよう) すでに秋声」と読みます。
「光陰矢のごとし」
世に「一寸の光陰軽んずべからず」「芸術は長く人生は短し」「光陰人を待たず」「歳月人を待たず」と、類似の言葉は枚挙に暇がありません。
「命短し、恋せよ乙女」なんて言葉もありましたね。
どんな人でも、時の経つ早さは実感していると思いますが、やはり40代、50代と過ぎ、60代に突入すると加速度的に速さが増してきます。まさしく「光陰矢のごとし」を実感する日々です。
「少年老い易く学成り難し」は、まさしくその通りですが、人間死ぬまで学ぶことだらけではないか、というのも実感です。
何かの学問を究める人も少数いるかもしれませんが、我々凡人は死ぬまで学びの日々が続きます。
そう考えた時、高倉健さんの座右の銘が思い浮かびます。
「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」
その意味は、次の通りです。
辛いことがあっても、それは精進であり、自分を高めるために必要なことなのだ。
それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない。
きっと一生かかっても精進に終わりはないと思います。そして、道半ばで息絶えたとしても、その過程の精進に悔いが無ければ最高です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.6.3記)