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さて、「今日の一言メモ」第492回です。
「誉れは毀りの基」
誉れは毀りの基(ほまれはそしりのもと)とは、人の称賛を得ることは、同時に人から非難されるもとになるという意味です。
「出る杭は打たれる 」と同義語ですね。頭角を現す人は、とかく人から憎まれたり、嫉 (ねた) まれたりすることや、出すぎた振る舞いをすると非難されて制裁を受けるなどの例えです。
並べて打った杭が1本だけ高ければ、他の杭に揃うよう打たれることから、この表現になったわけです。
同調圧力の恐さ
日本人は、根っこは狩猟民族ではなく農耕民族です。農耕社会では、みんなで力を合わせて作物を育て、収穫することが大切でした。
そうしてムラ社会が形成され、そこでは「和を以て貴しとなす」が規範となり、みんな仲良くして諍 (いさか) いを起こさないようにすることが大事でした。
でも、それも行き過ぎると、偉い人の意見に異を唱えたり、回りとは違う意見をはっきり主張することは御法度となり、それでも我を通すと和を乱したとして「村八分」にされたりしました。
現代は、もうそこまでの同質性は求められませんが、会社などの組織で目立つことをすると「出る杭を打つ」力学が働きます。回りに嫌われたくないのであれば、打たれないようおとなしくしていることになります。
今回のコロナ禍で、外出自粛要請が出ているのに従わない人たちが出ると、厳しく糾弾する「自粛警察」なる人たちが出現しました。まあ、外出自粛要請に従わない人たちが自分たちを「出る杭は打たれる」と言ったら、ちょっと意味は違いますが……。
真の『自由』を貫くためには
今年98歳になられた瀬戸内寂聴さんの言葉を思い出します。
周りからどんなに批判されても、
我関せず思う通り生きるのが
本当の『自由』なのです
世間の目や常識という名の締め付けや暗黙の了解など、自分を縛る目に見えない鎖はたくさんあります。でも、その圧力に屈せず、自分にとって余計だと思えるものは極力排していきたいものです。
そして、法を犯さず人に迷惑をかけない範囲で、自分の思う通りに生きるという『自由』を貫いて生涯を全うしたいと思っています。
誰か他人の人生を生きるわけではなく、自分の人生を生きるわけですから、その結果に対する全責任を自らが負う覚悟を持って、この世を去る時に悔いを残さないように生きていくつもりです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.8.1記)