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さて、「今日の一言メモ」第643回です。
「断機の戒め」
「断機の戒め」(だんきのいましめ)とは、物事を途中でやめてはいけないという戒めです。
孟子が学業半ばに放り出して家に帰ると、母は織りかけていた機(はた)の織物を小刀で断ち切って、学問を途中でやめるのは、この織物を作る途中で断ち切るのと同じで、今までの勉学が無駄になってしまうと戒めた。
孟子は反省し、再び師のもとへ帰り勉学に励み、立派な儒者となったという故事に基づくそうです。
二度や三度の失敗で挫けない
2021年がスタートして早半月が経ちました。正月に計画を立てたことも、三日坊主になってしまったり、そろそろめげそうなこともありそうです。
新しいことにチャレンジすると、最初はなかなかうまくいかないものです。小さい頃を思い出しても、最初から自転車をスイスイ乗りこなすなど至難の業です。何度も何度も転んでいるうちに、ある瞬間に突然乗れるようになるものです。
ここで大事なのは、何度も転ぶことです。右へ転んだり左へ転んだりするうちに、だんだん重心のかけ方の加減が分かってきて、ある瞬間に絶妙なバランスがとれるようになるのでしょう。
何度も転んで嫌になり、チャレンジをやめてしまったらもったいないことです。もしかしたら次にチャレンジしたときに乗れたかもしれないのに。
8千本の凡打と向き合ったイチローに学ぶ
自転車のように一度乗れるようになったら、一生乗り続けられるものもありますが、人生の過程はうまくいったりうまくいかなかったりの連続です。時としてうまくいかないことばかりが続く時期もあります。
そこで投げやりになってうまくいくように努力することを放棄して、日々流されるような生き方をしたらどうでしょう。ただひたすら下りのエスカレーターに乗り続けるような結果になるでしょう。
生きていれば、なかなか上りのエスカレーターに乗って楽ができる時間は少ないでしょう。あるときは、下りのエスカレーターを必死に登らないといけない場面もあります。
野球の現役生活を引退したイチローが、現役時代に4千本安打を放ったときのインタビューでこんな言葉を残していました。
「4千本安打の裏には、8千本の凡打がある。誇れるとしたら4千本の安打を放ったことではなく、8千本の凡打と真剣に向き合ってきたことだと思う。」
イチローにとっては、8千本も凡打を重ねたことが許せなかったのでしょうか。とにかくなぜ凡打に終わったのか、真剣にその原因を追及し、打撃方法の改善に取り組んだのは想像に難くありません。
うまくいかなかったことから学ばないという愚は犯さない
やってみたけどうまくいかなければ、早くそのことを忘れたいと思うのが人情です。そうではなく、なぜうまくいかなかったのか考える。そして、その原因に思い当たったら、別のアプローチを試みる。
それでまたうまくいかなかったら、またその原因を考える。そして、再び別のアプローチをとってみる。
こうした経験を重ねることで、遠いあの日に初めて自転車に乗れたように、ある日突然うまくいく日が訪れるのだと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.1.16記)