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さて、「今日の一言メモ」第654回です。
「牛に引かれて善光寺参り」
「牛に引かれて善光寺参り」とは、思いがけず他人に連れられて、ある場所へ出掛けることです。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることの例えでもあります。
昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったという言い伝えが基になっているそうです。
「牛に引かれて善光寺詣り」とも書きます。
「セレンディピティの日」
今日1月28日は「セレンディピティの日」だそうです。今から267年前(1754年)の今日、イギリスの政治家にして小説家であるホリス・ウォールポールが、初めてこの単語を使った事がその由来だそうです。
セレンディピティ(serendipity)とは、彼が生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだものだとか。
この言葉の持つ意味は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指しています。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指すのです。
平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得て、幸運をつかみ取る能力ということになります。牛に引かれて善光寺参りした老婆も、ちゃんとその後何度も参詣したから信仰の道を手に入れたのですから、その才能があったということでしょう。
しかるべきときに、しかるべき場所にいることが大事
思わぬラッキーに恵まれることを「棚からぼた餅」と表現しますね。でも、棚からぼた餅が落ちてきたときに、ちゃんと下にいないとぼた餅は床に落ちてしまいます。
しかるべきときに、しかるべき場所にいることが大切なのです。サッカーでもキーパーがはじいたボールが目の前に転がってきて、ちょっと触っただけでゴールすると「ごっつぁんゴール」なんて言われますが、ちゃんとその場所に走り込んでいたからこそゴールできたわけです。
失敗体験の中身を、成功要因と失敗要因の2つに分解する
また、失敗体験をしたときに、その失敗のなかにこそ成功要因が潜んでいるかもしれません。その成功要因に気づける場所にいるか、そのときを逃さずにいられるかが大事でしょう。
現在、最も普及しているメモ用紙の一つに「ポスト・イット」があります。貼ってもすぐに剥がせる糊の発見があってこその製品ですね。
その糊の発見は、たまたま糊の開発過程で接着力の弱いものができてしまった、といういわば失敗の産物であったことは有名な話です。そして、接着力が弱いことで全部捨ててしまうかわりに、何度も貼って剥がせる糊の応用を考えたからこそ、ポストイットが誕生したのです。まさに、セレンディピティと言えます。
失敗といえば、iPS細胞の作製により、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授の言葉が印象に残っています。
「実験が失敗したということは、うまくいかないことを証明したということであり、そのことが意味を持つ。」
一般人である自分も、日々いろんなことに失敗しますが、その時は失敗した経験すべてを否定するのではなく、そこに潜む成功要因は何だったのか、失敗に至った決定的なポイントは何なのか、しっかり分解して考えてみたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.1.28記)