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さて、「今日の一言メモ」第682回です。
「信じること」と「信じきること」
以前、若い友人がある発表の場面で次のように言っていました。
他者を信じて裏切られることがあったとしても、それでもなお信じる。最後には笑って「これでよかった」と思えるために。それが心地良く生きていくために必要なことだと。
この発言のベースになったのは、マザーテレサの言葉「Anyway」だったそうです。その一部を「名言+Quotes」サイトから下記します。
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そして、その発表を聞いた講師が次のようにコメントしました。
「信じること」は「信じきること」とは違う。後者は全てを相手に委ねてしまうこと。盲目的に信じきって、信じ込んでしまうと、裏切られた時に大きく傷つく。
「恋」における約束事は何の保証もないのだ。その約束は未来を縛るものではないことに気付こう。「信じること」は即ち運命を受け入れること。その運命を受け入れる覚悟を持つこと。
不可抗力と可抗力の違いを明確に認識し、運命と意思の線引きを正しく行う必要がある。
そして、今日の不可抗力を明日の可抗力に変えていく。運命と思えたものを意思に変えていく。両者を区切っていた線引きの位置を変えていくことが大事。それは神との闘いに勝っていくことを意味する。
「信用」と「信頼」
友人と講師のやり取りを通して、「信用」と「信頼」の違いに通じるものがあると感じました。
「信用」とは、例えば銀行が担保見合いで与える「信用力」に対して融資するように、何かの保証があって初めて成立するもの。
対して「信頼」はそうした保証が全くない状況で、自分自身の判断だけで成立させるもの、という違いです。
そして、その「信頼」は盲目的に信じきることではなく、自分自身の判断による結果に全面的に責任をとる覚悟を持ち、例え裏切られたとしても、その結果を甘んじて受け入れることであると思うのです。
「信じる」という短い言葉を安易に使うのではなく、その言葉に込める「覚悟」を常に意識していくことが大切でしょう。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.3.10記)