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【今日の一言メモ】・・・どんなに経験を積んでも、一面的な見方しかしていないことを自戒し、違う見方を謙虚に受け入れる

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さて、「今日の一言メモ」第685回です。

「杯中の蛇影」

「杯中の蛇影」(はいちゅうのだえい)とは、疑いの心をもって見ると、なんでもないことでも疑わしく見えてくるということの例えです。

中国晋王朝について書かれた歴史書『晋書・楽広伝』にある以下の故事に基づくそうです。

晋の楽広という人物の友人が楽公の部屋で酒を飲んでいたとき、杯に映った影を見て蛇と思い込み、その酒を飲んだことを気にして病気になった。それを聞いた楽公が友人に「それは蛇ではなく、弓の影が映っていただけだ」と言うと、たちまち病気が治ったという。

「見る」と「観る」の違い

「盲目と象」というお話があります。何人もの盲目の人が、それぞれ象の一部分に触れ象の姿を思い浮かべたところ、ある者は大蛇のようだと答え、ある者は細い縄のようだと答え、またある者は大きな臼(うす)のようだと答えました。

このお話は、象の一部分を触っただけで、象の全体を知ったつもりになってしまう思い込みの怖さを表しているのです。ちゃんと見える人はそのような過ちを犯すことはないはずですが、我と我が身を振り返れば、こうした思い込みで分かったつもりになっていた経験を結構しています。

「見る」という言葉には、文字通り物事の表面が見えている、という意味の他に「診る」「観る」「看る」「視る」というニュアンスの違う表記があります。

自分の経験上、物事の上っ面を眺めて「ああ、これはこういうことね」と早合点し、本質を見誤り失敗することがあります。それは「自分には見えている」という大いなる勘違いに過ぎなかったケースです。

そして「これはこういうことだ」と断定し、他の人からもそう見えているはずだ、と思い込んでしまい、後から本質が違うことに気がついてアタフタするのです。

一面的な見方しかしていないことを自戒する

歳を重ねてくると、経験を積んでいるだけそうした思い込みは激しくなります。若い人が、自分と違う見方をすると「いや、それは違う」と頭ごなしに決めつけそうになります。

でも、その時は、なぜ相手はそういう見方をしたのだろう、と考え、その見方に辿り着いたプロセスを聞いてみるようにします。すると、自分の見方が浅はかだったことに気づき、相手の見方にすごく納得したりします。

結構、若い人の考えに教えられることも多いので、いくつになっても自分が一面的な見方しかしていないことを自戒し、違う見方を謙虚に受け入れたいと思っています。

・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2021.3.16記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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