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さて、「今日の一言メモ」第711回です。
「正直の頭に神宿る」
「正直の頭(こうべ)に神宿る」とは正直な人には、必ず神のご加護があるという意味です。神様は誠実な心をもって正直に生きる者を見守っており、必ずそのご加護があるという意味で、正直の大切さの教えです。
正直者で思い出すのは、イソップ童話の「金のオノ、銀のオノ」です。それは、次のようなストーリーでした。
昔々、ある男が川のそばで木を切っていると、手が滑ってオノを川に落としてしまいました。オノがないと、仕事が出来ないので、男はシクシク泣きました。
すると川の中からヘルメスという神さまが出て来て、ぴかぴかに光る金のオノと銀のオノを見せて「お前が落としたのは、このオノか?」と聞きます。
男は正直に、そんな立派なオノではないと答えると、神さまは感心して、落としたオノだけでなく、金のオノも銀のオノも男にくれたのです。
正直者が馬鹿を見る?
正直さは大切だと教えられた子どもも、そのうち「正直者が馬鹿を見る」という言葉も覚えます。ずる賢い者はうまく立ち回って得をするが、正直な者は秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いという意味ですね。
敗戦後すぐの物がない時代に、食料を手に入れるには闇市を利用せざるを得ない時期がありました。それを潔しとせず、配給品のみで暮らしていた大学の先生が栄養失調かなにかで死んでしまう、という話があります。
現代は、矛盾と曖昧さに満ちていますが、もしも子どもに「正直者は馬鹿を見るの?」と聞かれたら、どう答えればいいのでしょう?
やはり「損して得とれ、といってね、目先の利益に拘ると人間の器が小さくなっちゃうから、やっぱり自分に嘘をつかないのが一番なんだよ。」とでも言うのでしょうか。う〜む・・・
自分に正直に生きる難しさ
それはともかく、自分に正直に生きる、ということを貫徹することも難しい時代ですよね。親や兄弟姉妹、家族、親類、そして自分が過ごしている組織、コミュニティといった周囲からの期待や圧力が、自分に正直に生きることを難しくしています。
「他人の視線は自分を縛る鎖」という言葉があります。そうした呪縛や、いわゆる世間体・見栄というものに、自分の生き方を左右されることも多いかもしれません。
そういえば、『看護師が語った、死ぬ直前に誰もが後悔する「5つのこと」』という記事をかつて読んだことを思い出しました。
ある看護師が末期患者と接するなかで、彼らが口にした後悔の言葉をまとめたものです。
その一番目に出てくる言葉が、「もっと自分らしく生きればよかった」でした。以下、記事から引用します。
これは、一番よく聞く「後悔」の言葉。人は、人生が終わりに近づいていると悟ったとき、もっと自分らしく生きたかったと考えるようです。いくつもの夢があれど、ほとんどの人は、そのうちの半分も全力を尽くさないままに時間が過ぎ去ってしまうのです。そして、じつはそれが「自分の決断次第だった」ということに気づきます。
健康は人を盲目にします。もう長くは続かない、とわかるそのときまで、自由を見えづらくしてしまうのです。
自らの死を悟った時に、「ああ…自分らしく生きることができた…」と思えたら、それが幸せな人生ということになりそうです。
現在のコロナ禍では、自分らしく行動することが難しいですが、自由に行動できるようになったら、他人が期待する生き方をするのではなく、自分が生きたいように正直に生きていきたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.5.6記)