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【今日の一言メモ】・・・どんなに優秀でも、人に「好かれる力」がないとチャンスに恵まれないので、「好かれる力」を磨くことに努力する

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さて、「今日の一言メモ」第804回です。

「衆人愛敬」

室町前期の能役者である世阿弥は、「離見の見」「初心忘るべからず」など印象深い言葉を残しています。「衆人愛敬」もその一つです。

「衆人愛敬」とは、大衆に愛されることが一座の中心である、という意味です。どんなに上手な能役者であっても、大衆に愛されることのない者は、決して一座を盛り立てていくことはできないということです。

当時、能は「貴所」といって、貴族や武家の前で行うものでしたが、彼らに受け入れられているだけではいけない、と世阿弥は考えました。

貴族の前であろうと、山寺であろうと、田舎でも遠国でも、あるいは、神社のお祭りの時であろうと、どこでも喝采をうけるような演者でなければ、一座の中心として盛り上げる能の達人とはいえないというのです。

世阿弥が「衆人愛敬」といったもうひとつの理由は、自分の人気が失せた時の対策でした。どんなに都でもてはやされていても、自分ではどうしようもないめぐり合わせで「女時 (めどき) 」となり、忍耐を強いられることもある。そんな時には、田舎や遠国での人気が支えとなり、自分の芸が絶たれてしまうことはない。

自分を支持してくれる大衆さえいれば、都の評判如何に関わらず、なんとかやっていける。自分の場が失われさえしなければ、挽回のチャンス <=男時 (おどき) > はあると世阿弥は考えたのです。

「男は度胸、女は愛嬌」

今はもう死語かもしれませんが、「男は度胸、女は愛嬌」という言葉があります。男にとって大事なのは、決断力があり物怖じしないことで、女にとって大事なのは、にこやかで可愛らしい振る舞いだという意味です。

でも、現代では女性にも度胸は必要でしょうし、男性も愛嬌がないと可愛げのない奴と思われてしまいます。

愛嬌というと語弊があるかもしれませんが、可愛がられる、愛される、心をかけてもらえる、好かれる、という存在にならないと、なかなかチャンスに恵まれないはずです。

「好かれる力」があれば、自然とチャンスに巡り会える

どんなにIQが高く優秀でも、周りをバカにして見下すような態度や冷たい態度をとる鼻持ちならない人は、だんだん回りの人が遠ざかってしまうでしょう。

一方で、「愛嬌 」( 好かれる力)のある人は、偉そうにせず、譲れるときは手柄を人に譲り、感謝の気持ちを忘れず、上から目線で語らず、いつも人さまのお役に立つことを心掛けています。

そうすることで、自然と人から気にかけられ、チャンスを与えられる存在になるでしょう。まあ、ここまで揃っている人もいないと思いますが、こうした点に留意して、媚びるのではなく、少しでも「好かれる力」を身につけたいと思うのです。

・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!

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(2021.10.11記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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