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さて、『今日の一言メモ』第927回です。
「忠言耳に逆らう」
「忠言耳に逆らう」とは、忠告の言葉は、聞く者にとっては耳が痛いから、素直に受け入れられにくい、という意味です。
真心を込めて諌 (いさ) める言葉や忠告は、聞く側にとっては辛いので、なかなか素直に受け入れられないものです。
「忠言」とは、真心を込めて諌める (=不正や欠点を改めるよう忠告する) 言葉のことです。
『論語』に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書『孔子家語・六本』に、「孔子曰く、良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」とあるのに基づくそうです。
コンサルタントとして気をつけている忠告の仕方
この10年間フリーランスのITコンサルタントとして仕事をしています。直接お相手するのは、中小企業の社長さんがほとんどです。社長さんですから、それぞれ一家言お持ちです。そうした方に忠告する時は、表現の仕方に工夫が必要です。
こちら(コンサルタント)に対して正しく忠告して欲しいと依頼されるわけですが、思った通りをそのまま言葉にしてしまうと、どうしても上から目線に感じられてしまいカチンと来るはずです。
例えば、社長が出来の悪い部下についてあれこれ嘆いているときに、「嘆いてばかりでは前に進まないので、ではどうすればいいか考えましょう」と言われたらどうでしょう。「そうだな、その通りだな」と受け取ってくれればいいのですが、カチンとくる方もいるかもしれません。
なので、そういうときは「私たちがここで彼(出来の悪い部下)のことを嘆いてみても時間がもったいないので、どうしたら彼の認識や行動を変えることができるか知恵を絞ってみましょう」などと表現してみます。
「あなたが嘆いている」のではなく「私たちが嘆いている」と表現することで、今の状態を客観視してくれるようになります。いかにマインドチェンジしてもらうかが大切だと思うのです。
歳を重ねたら、耳に痛い忠告をしてくれる友ほど大切にする
プライベートでも、耳に痛い言葉を親身にかけてくれる友人は、本当にありがたい存在です。そうした言葉を言われた時は、どんなに的確な忠告でも、すぐには受け入れることができず反発してしまいがちです。
でも、後になって冷静になって思い返せば、それがどんなにありがたいことか骨身に沁みるでしょう。人間歳を重ねてくると、なかなかそうした耳に痛い忠告をしてくれる相手がいなくなります。
それが知らず知らず慢心に繋がり、頑固になったり、パワハラをしてしまったりするのかもしれません。
やはり、あの「知」を追求したソクラテスの次の言葉を忘れてはいけないでしょう。
「私に分かっていることは、私が知らないということだ」
この言葉を機会ある毎に反芻し、「実るほど頭を垂れる稲穂かな、だぞ・・・」と常に自分に言い聞かせたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2022.6.27記)