「今日は何の日?」シリーズ第45弾です。
1945年8月15日の正午、昭和天皇の肉声が、ラジオ放送を通じて初めて国民に届けられました。いわゆる玉音放送です。
そして、日本軍の全面降伏をつきつけた連合国側のポツダム宣言を受諾し、戦争を終結することが伝えられたのです。
8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」
この玉音放送は、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう) を昭和天皇が朗読し、それを録音したレコードがラジオ放送されたものです。
その前には、この放送を阻止しようとする軍部の一部がレコードを奪取しようと画策したそうです。
当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては、本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされました。
当時、神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が、初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結が発表されたことで、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべき衝撃的な出来事となりました。
あれから69年が経過
富田の父親は、敗戦が決まった時は、調布飛行場に配属された航空兵だったそうです。母親は、まだ女学校に在学中で、勤労奉仕として工場で働いていました。
父親が配属された時は、既に満足に飛ばせる飛行機はなく、グライダーを用いて飛行訓練をしていたと聞きました。
アメリカが日本本土に上陸して戦闘が行われる、という事態が想定されていましたが、既に戦う武器はなく、一般人には竹槍による訓練が強制されたとか。
今から思えば、戦車に竹槍で戦いを挑むようなもので、無謀きわまりないわけですが、当時は真剣に訓練が行われていました。
アメリカも日本人の覚悟を知っていたようで、最終的には勝利を収めたとしても、日本人の絶望的な抵抗により、アメリカ側にも膨大な犠牲が生じることを危惧していました。
このため、日本を蹂躙して消滅させ隷属させることは選択せず、国としての体 (てい) を残した形で日本軍の全面降伏を求めるポツダム宣言を発表したのです。
あの時、昭和天皇の英断がなく、ポツダム宣言を拒否していれば、日本は蹂躙され天皇制が残らないどころか、今頃連合国の一部に併合されていたかもしれません。
もしもそんなことになっていたら、あの戦争で戦い、あたらその命を散らせた方々は、なんのために命を捧げたのか分からなくなります。
我々が現在平和な暮らしを享受できている一つには、戦争で亡くなられた方々という尊い犠牲があったことは間違いありません。
そのことに思いを致し、そうした方々の鎮魂を祈り、正午には手を合わせようと思う、蝉の声が賑やかなお盆の朝なのでした。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2014.8.15記)