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” ファミコンの日 ” に思うこと → 若くして亡くなられた岩田社長を思うと、明日命がつきても悔いのない生き方をしなければと思う…

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さて、今日は「ファミコンの日」だそうです。

「ファミコンの日」の由来

今から32年前の1983年 (昭和58年) 7月15日に、任天堂が家庭用ビデオゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売したことを記念して制定されたものです。

任天堂といえば、つい先日55才の若さで急逝された岩田聡氏のことを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか…

ほんとに優秀な方を亡くしたと思います。改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。

「ファミコンの日」に思うこと

ファミコン発売以前は、いわゆるアーケードゲームというゲームセンターなどで楽しむゲーム機が一世を風靡していました。

それを家庭用のテレビと接続して楽しめるように開発されたのが、ファミコンでした。

発売後、「マリオブラザーズ」シリーズの大ヒットにより、家庭用ゲーム機の存在を不動のものにしました。

その当時の、山内博社長が見込んで、自身の後継者に指名したのが岩田聡氏でした。

岩田聡氏には数々のエピソードがあります。

岩田氏は、東京工業大学卒業後、大学時代のアルバイト先だったソフトウエア開発会社、HAL研究所に入社します。

その後、HAL研究所は事実上倒産します。その再建支援に乗り出した任天堂が、条件として掲示したのは「岩田聡を社長にすること」でした。

任天堂社長の山内博氏が、岩田氏の力を見込んで条件を出したそうです。

山内氏の目論見通り、岩田氏は高い経営手腕を発揮して、HAL研究所は15億円の負債をわずか6年で完済し、見事に再建を果たしたのです。

山内氏は、岩田氏を任天堂の取締役経営企画室長として招き、その2年後に社長の座を譲り渡します。

任天堂は、それまで100年以上ずっと山内家の同族経営体制が続いていて、全く血縁関係のない入社2年目の人物を社長に指名するというのは正に異例の事態だったのです。

任天堂の社長になった岩田氏は、携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売・大ヒットさせたことなどにより、社長就任の2002年から2008年までの7年間で、任天堂の売上を約3倍にしました。

こんな凄い人を失った任天堂の今後は、二人の専務が代表取締役になり託されたわけですが、さてどうなるのでしょうか?

・・・というわけで、僕より4歳も若い優秀な経営者の方が亡くなり、寂しい思いをしました。ご本人もまだまだやり残したことがあったと思いますが…

人間一寸先は闇ですね。やはり今日、命が失われたとしても、悔いのない生き方をすること、遺された家族が困らないようにしておくことが大事だと改めて感じた「ファミコンの日」の朝なのでした。

・・・・・・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
・・・・・・・・・・・・
(2015.7.15記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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