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閑話休題。
さて、8月6日の「広島平和記念日」に続いて、今日8月9日は「長崎原爆の日」です。
長崎に原爆が投下された日
今から71年前の1945年 (昭和20年 ) 8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下しました。
8月6日に広島と襲ったものと同様、長崎市松山町の500m上空で爆発したのです。
一瞬のうちに、約7万4千人の市民が死亡し、約7万5千人が重軽傷を負いました。そして、その後長い期間にわたって苦しむ人々を生み出しました…
オバマ大統領のスピーチに思う…
先日 (2016.5.27) 、オバマ大統領は現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。そして、「核なき世界」の実現に向け、スピーチをしました。
スピーチは、次の言葉で始まりました。(こちらの記事から引用)
71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです。
なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために訪れるのです。10万人を超す日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために訪れるのです。
彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。
「死が空から降り」という言葉の背景には、「誰が死を降らせたのか」という事実があります。「死」それ自身が意思を持って降ってくるわけがないのですから。
許されない一般市民の大虐殺
広島で約14万人、長崎で約7万4千人、合わせて20万人を超える一般市民 (非戦闘員) が、たった2発の原子爆弾で命を落とし、更に後世に至るまで多くの傷跡を残しました。
軍隊に属する兵士ではなく、非戦闘員に対するこの行為は、戦争によるものではなく、国家によって行われた単なる大虐殺です。
日本の敗戦は明らかな状況で、あえて原爆を投下したのは、米軍兵士の損失を最小限とすべく本土決戦を避けるためとも、戦後体制を睨んでソビエト連邦に対して、少しでも優位な立場を築こうとしたためとも言われています。
米国内でも、非人道的な原爆投下には反対意見が多かったと言われています。
そんな状況で、無残にも犠牲になった方々、長い苦しみを余儀なくされた方々の無念は如何ばかりでしょうか…
ただ、自軍の犠牲者をこれ以上出さないため戦争を早く終わらせる、などという目的で、一般市民を大虐殺したことが正当化されていいのでしょうか。
最後に
オバマ大統領は、広島でのスピーチ後に、被爆者団体「日本原水爆被害者団体協議会」の代表委員を務める坪井直氏 (91歳) と握手をしながら笑顔で会話を交わしました。
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坪井さんによると、「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう。」とオバマ大統領に語りかけたそうです。
被爆者の方々の胸に澱のように沈殿していたつかえは、オバマ大統領の訪問とスピーチによって、ある程度とれたように思えます。
それでも、我々は戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを忘れることなく、「不戦の誓い」を固く胸に抱きながら生きなければ、と思う次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2016.8.9記)