Challenge Next Stage 〜目指せ!出版への道〜

僕が56歳で、自分の内面に巣くうモノ達 (世間体・見栄・プライド) と繰り広げたバトルの記録 (2)

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(画像出典元はこちら)

さて、昨日は僕が56歳の時に、コンサルタントとしての自分の評価を気にして自縄自縛に陥り、足がすくんで前に進めなくなってしまったことを書きました。

では、その時その事実とどう向き合い、どのようにそこから脱却したか、について今日は書いてみます。

事実は事実として認める

「試行錯誤して失敗することを怖がっている自分」「みっともない姿を晒すことを怖がっている自分」「臆病で前に踏み出すことを躊躇している自分」がいることを目の当たりにして愕然としたわけですが、まずは落ち着いてそれが事実であることを認めることから始めました。

その時は、「他の人に認められたい、評価されたい」という承認欲求が強かったわけですが、別の見方をすると、自分のことを過大評価している・・・というより過大評価したがっていたのです。

自分を過大評価したい自分がいたため、失敗したりみっともないことをするのを自分に許していなかったのです。要するに上手くやれること、ちゃんとやれることしかできなくなっていたわけです。

それから、それまでの人生をつらつらと振り返ってみました。すると、色々失敗したり酷い目に遭ったり理不尽な思いをさせられたことが、その後の人生に様々な糧を提供してくれたことに改めて気付かされました。

あるメルマガとブログメンターの方々に救われる

そんな時に、数年間購読していた「平成進化論」というメルマガの一文が目に留まります。それは次のような内容でした。

なにか事を起こそうと思ったなら、「痛い人」になるのは通過儀礼のようなものである。
そこを通過しないと次の世界には出られないのだ。

だから「みっともない人」「恥ずかしい人」「痛い人」だと後ろ指を差されれば、その事実を喜べばいい。そうやって試行錯誤しているうちに「やり方」が分かり、洗練もされてきて、目指す世界に到達できるだろう。

そのときになって自分に向けられていたその指(後ろ指)を、そっとご本人の方に向け変えて差し上げれば良いだろう。

この一文を読んで、「そうか!痛い人になってもいいんだ!みっともないことをしてもいいんだ!」と膝を打ちました (単純…(^^; )。もう世間体や見栄やプライドなどに縛られてたまるか!と思うようになったのです。

それから、挑戦 (チャレンジ) という言葉を「みっともなくジタバタあがくこと」と再定義しました。そして、そのことを当時ブログについていろいろ教わっていたブログメンターの方々に報告したのです。

そこで、温かい応援の言葉をたくさん頂きました。この時は、ブログコミュニティの存在に、ほんとに感謝しました。

こうして、ブログを書くことで気付いた自分の内面、世間体や見栄やプライドなどに縛られて動けなくなった自分がいたわけですが、そうした事実を認め、向かい合い、そしてメルマガとブログコミュニティのお陰でそこから抜け出すことができたわけです。

現在ブログを始めて4年半近くになりますが、いろんな意味でブログに導かれ、助けられてきました。こうして、ブログは僕のライフワークになったのです。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
 
 
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(2017.2.26記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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人生のセカンドステージを、ポジティブ&アクティブに過ごすことを目指して、アラカン(アカウンド還暦)世代の筆者が思いを綴るブログ。
Consulting Office SMART代表/富田邦明が人となりをお伝えするために運営しています。

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