(画像出典元はこちら)
さて、昨日の記事で、他人の時間を過ごさないことが、人生の悔いを少なくすることに繋がると書きました。今日は、その続きです。
他人の時間を過ごすとは?
「看護士が語った、死の直前に誰もが口にする『後悔の言葉』」という記事に、生きていく上で本当に大切にすべきことが書かれていました。
それは、他人に認められるため、よく思われるため、変化に臆病、自分を変化させたらどう思われるか不安など、どうも自分の時間ではなく、他人の時間を過ごした期間が長いほど、人生の後悔は大きくなるということでした。
なので、嘘をついたり、他人に迷惑をかけることなく、どれだけ自分が本当にしたいことをできるか、が人生の後悔を少なくする鍵になりそうです。
他人の目は自分を縛る鎖
「承認欲求」は、人間の本能とも言える欲求でしょう。他の人に褒められたい、認められたいという気持ちは、万人が持っていることでしょう。
それは反面、人から批判されたり、蔑まれたり、嫌われたりする行動を意識的にも無意識にも回避することになりがちです。
子どもであれば一番身近な親に嫌われたくないと思うでしょうし、大人になっても近所の目を気にするなど、いわゆる世間体を気にすることは大いにあります。
他人にどう思われているか気にしすぎて、結局、その他人の目が自分を縛り付ける鎖になってしまうのです。
「みっともなく、恥ずかしく、痛い」位の姿を晒してみる
これは僕の経験談ですが、6年前にフリーランスのITコンサルタントとして独立してしばらくは、信頼を得なければと肩に力が入り過ぎていました。
みっともない姿を見せてはいけない、ちゃんとできることを見せなければ・・・と力んでいたのです。
その力みが自縄自縛となり、自分が確実にできることしか取り組まず、結果として大いにチャレンジしなければいけない場面に出会っても、それを回避するようになっていました。
それがある時、あるコミュティメンバーのアドバイスもあって、肩の力を抜いて吹っ切ることができました。以下は、その時に辿り着いた行動指針です。
- これからどこにいても何をやるにしても、格好をつけたりせず「みっともなく、恥ずかしく、痛い」位の姿を晒し、試行錯誤していくことにしよう!
- 挑戦 (チャレンジ) という言葉を「みっともなくジタバタあがくこと」と再定義しよう!
どんなことがあっても、例え、世間様に「あの人は痛い人だ…」と後ろ指を指されても、その試行錯誤を経なければ到達できない世界があるのだ、と信じることができたのです。
それが、2013年の初めの頃です。それ以来、この行動指針は、自分が好きで堪らないこと、やりたくて堪らないことに取り組む時、ドリームキラーとして立ちはだかる世間様とやらに対抗する、極めて力強い味方になってくれています。
・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2018.10.16記)