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さて、昨日はパパブッシュの訃報が飛び込んできましたが、今日12月3日は「東西冷戦が終結した日」です。
「東西冷戦が終結した日」とは?
今から29年前の1989年12月3日に、ジョージ・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフ ソ連最高会議幹部会議長兼ソ連共産党書記長が、マルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言しました。これは、マルタ会談と呼ばれています。
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44年間続いた東西冷戦
第二次世界大戦が終結した1945年のヤルタ会談から、1989年のマルタ会談までの44年間、アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こりませんでした。
このため、軍事力で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれたのです。
冷戦での両陣営の対立の境界であるヨーロッパでは、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営が東ヨーロッパに集まっていたことから「東側」、対するアメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営が西ヨーロッパに集まっていたことから「西側」と呼んで対峙していました。
1962年には、時の米ケネディ政権下で、キューバ危機が起きました。
共産主義国となったキューバを舞台に、1962年10月14日から28日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、核戦争寸前まで達した危機的な状況に陥ります。この時は、危うく第三次世界大戦の勃発になるところでしたが、寸前で回避されました。
その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発や航空技術、文化、スポーツなどにも大きな影響を与えました。
1980年に開催されたモスクワオリンピックでは、前年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受けて、アメリカ・日本・西ドイツなど西側諸国が参加をボイコットしました。
そして、4年後のロサンゼルスオリンピックでは、その報復としてソ連をはじめとする東側諸国がボイコットしたのです。
ヨーロッパのみならず、アジア、中東、南アメリカなどでも、それぞれの支援する機構や同盟が生まれ、世界を二分していました。
この二つの陣営の間は、経済的、人的な情報の交流が少なく、冷戦勃発当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、「鉄のカーテン」と表現していました。
しかし、その後時は流れて、東欧革命やベルリンの壁崩壊により、ブッシュ米大統領とゴルバチョフ書記長両首脳によるマルタ会談で、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言したというわけです。
過去の歴史に学び、平和の尊さを改めて噛みしめる
先日11月30日に94歳で亡くなったパパブッシュは、第41代アメリカ大統領で、多くの人の尊敬を集めました。
トランプ政権は、ブッシュ元大統領が亡くなったことを受けて今月5日を「国民追悼の日」に指定し、連邦政府の機関などを休日にすることを決めたほか、ワシントン大聖堂で国葬を行うことにしています。(こちらの記事参照)
僕が、1956年 (昭和31年) に生まれてから社会人になるまで、世界はずっと冷戦構造が続いていました。ですから、冷戦が終結した時は、青天の霹靂に感じました。
ソ連のゴルバチョフ書記長が暗殺されてしまうのではないか、と本気で思ったほどです。
そのソ連もロシアとなり、平和な世界が期待されましたが、現在は米中の新たな冷戦突入が懸念されています。日本を取り巻く環境も北朝鮮に加えて日本をないがしろにしつつある韓国、そして安全保障面で中国の強硬姿勢が懸念されます。
戦後の経済成長を果たし、なんだかんだと言いながら平和を享受してきた日本ですが、実は薄氷の上を歩いているのではないか、との懸念があります。
そんな懸念はありますが、東西冷戦が終結した日にあたり、過去の歴史を振り返り、平和の尊さを改めて噛みしめている次第です。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2018.12.3記)