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さて、「今日の一言メモ」第140回です。
「君子は交わり絶ゆとも悪声を出さず」
この言葉の意味ですが、徳の高い人はたとえ絶交しても、その相手を悪くは言わない、ということです。
普通の人は、親しく付き合っている間はいいが、一度仲が悪くなると相手を悪しざまに言いたがります。しかし、高い見識のある人はそれをしないものだ、ということですね。
中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された歴史書「史記 (楽毅伝) 」に、「古の君子は交わり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣は国を去るもその名を潔 (きよ) うせず」とあるのに基づくそうです。
人の悪口を言うのは、優越感を確保するため?
徳の高い人は、付き合いたくない人に対して、悪口を言って蔑むようなことをしなくても、泰然自若としていられるのだと思います。
それに対して凡人は、付き合いたくない人に対して、もしかしたら嫉妬、嫉み、劣等感を感じているのかもしれません。
そして、人間には『劣等を感じれば、優越性を追及したくなる』という本質的な部分があるそうです。
このため、付き合いたくない人の悪口を言うことで、なんとか優越感を保っている、という見方もできます。
ちと話は変わりますが、ネットやSNSが普及してから、有名人やタレントに対して匿名で誹謗中傷の類をぶつけている輩がいます。
最近では、一般人である犯罪加害者や加害者家族まで、ネット上でそのプライバシーを暴かれ制裁を加えられることも増えてきました。
そんな発言は目にするのも不愉快なので、見ないようにしていますが、そうした輩はネットの匿名性をいいことに、いわば塀の内側の安全地帯に自分の身を置き、顔を見せることなく塀の外側に向かって石を投げているように見えます。
何か物申したいことがあるのであれば、正々堂々と顔を見せて本名を名乗ってからすべきでしょう。
まあ、そんな勇気もないのでしょうが・・・
劣等を感じると、優越性を追及したくなる本能を抑える
そもそも自分と他人を比べて優越感・劣等感を感じるのは、悲しいですが人間の本能でしょう。
問題は、劣等感を感じた時に、それが他者への攻撃という形を取ってしまうか、自分の内面的な発奮材料に転化できるか、ということだと思います。
自分を伸ばすのではなく、他者を貶めて自分より低くひきずり落とすことで優越性を感じるとは、なんとも空しく感じます。
そうした人間の本能的な対応を抑えるために、精進する必要があると思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.6.21記)