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さて、「今日の一言メモ」第155回です。
「義を見てせざるは勇無きなり」
「義を見てせざるは勇 (ゆう) 無きなり」とは、人として行うべき正義と知りながら、それをしないことは、勇気が無いのと同じことだ、という意味です。
孔子の言葉を記録した『論語・為政』に、「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂 (へつら) うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」とあるのに基づくそうです。
「義」は儒教の五常 (義・仁・礼・智・信) の一つで、筋道の通った正しい行いのことです。
「雉 (きじ) も鳴かずば撃たれまい」とも言うが…
雉も鳴かずば撃たれまい、とは、余計なことを言ったばかりに、自ら災いを招くことです。
政治の世界を見ると、自民党内で四面楚歌のように見える石破茂氏の言動が思い浮かびます。
石破氏は、自民党が「安倍一強」状態で、党内で自由に物が言えないムードになっていることに強い危惧を持っているようです。
以前から「きちんとものを言わないと、(政府と) 国民との感覚が離れてしまう。自民党はそれで失敗してきた。それは、やってはいけない」と発言してきました。
そして、自身をキジに例え「キジも鳴いたら撃たれる。1羽撃たれて、その後 (続かずに) だめだったらどうしようもないが、2羽目、3羽目、4羽目は必ず自民党にいる。キジも鳴かずば撃たれまいと言っていると、日本が潰れる。」と警鐘を鳴らしています。
身近な世界でも、行うべき正義を躊躇する時がある
身の回りを見渡してみても、理不尽な行為に出くわすことがままあります。
例えば、電車の中で、目の前にご老人や妊婦さんが立っていても、知らん顔で優先席に座り続ける若者など、いくらでもいます。
座っているのが、屈強で柄の悪そうな若者であれば、知らん顔を決め込みがちです。
その時に「義を見てせざるは勇無きなり」と、行動できるかは甚だ心許ないです。もしかしたら、怒鳴られたり殴られるかもしれない…という恐怖と戦わなければなりません。
結局、行動する、しないは、どちらが後悔が大きいか、ということでしょうか。
行動した結果、殴られてしまい怪我をして後悔するのか、行動せず、後々まで後ろめたい思いをひきずるのか、どちらにしても後悔するのであれば、どちらがマシか選択するしかないですよね。
勇気をもって注意したら、案外その若者は素直に席を譲るかもしれませんが…
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.7.12記)