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さて、「今日の一言メモ」第156回です。
「罪を憎んで人を憎まず」
「罪を憎んで人を憎まず」とは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけない、という教えです。
孔子およびその代々の子孫の言行を載せた『孔叢子 (くぞうし) 』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが、人そのものは憎まなかったの意味)」が由来になっているそうです。
失敗しても、自己否定しない
罪を犯すということは、その行為自体がいけないことです。そして、嘘をつくことは罪ですが、「嘘も方便」という通り、人助けのためなら嘘をつくことも許されるとされています。
また、生きていく上で失敗することはしょっちゅうあるわけですが、失敗=いけないこと=罪と考えてしまいがちです。
そして、罪を犯してしまった自分に罰を与えようとします。「自分はなんてダメな奴なんだ」と落ち込み、責め続けて自己否定の道をまっしぐら…
でも、何かを失敗したということは、うまくいかないやり方を発見したということです。だったら、自己否定するのではなく、まずは何かに取り組んだ自分を褒めてやればいいのです。どんなつまらないことであっても…
そして、うまくいかないやり方を二度とやらないよう誓って、別のやり方を試せばいいだけです。
「あり方 (Being) 」を変えずに「やり方 (Doing) 」を変えよう
自己否定するということは、自分自身の「あり方 (Being) 」を否定することになってしまいます。
「あり方 (Being) 」とは、自分が生きる上で拠って立つところ、つまり「基軸」と言えます。
自分の「あり方 (Being) 」を、「何度失敗しても立ち上がり、チャレンジし続ける」とすれば、その基軸をゆるぎなく貫き、どんどん「やり方 (Doing) 」を変えていけばいいと思うのです。
このブログで何度も何度も書いていますが、成功の反対は失敗ではなく、やらないことです。失敗しても失敗してもチャレンジをやめなければ「強者」でいることができるのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.7.13記)