(画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第160回です。
そういえば、今日7月17日は、京都の祇園祭の各種行事の中でも、重要無形民俗文化財に指定されている山鉾巡行 (やまほこじゅんこう) が行われる日です。(京都は、僕が新婚時代を過ごした懐かしの地なのです…)
今日の山鉾巡行を「前祭」(さきまつり) 、24日の山鉾巡行を「後祭」(あとまつり) と呼びます。
山鉾が街を巡行するのは、八坂神社の神輿を街に迎えるため、邪気を払うことが目的です。祇園祭の神輿渡御は17日と24日の夜なので山鉾巡行も2度行う、というわけです。
ちなみに、前祭 (さきまつり) に登場する山鉾は23基、後祭 (あとまつり) に登場する山鉾は10基です。
では、本題に移りましょう。
「天上天下唯我独尊」
「天上天下 (てんじょうてんげ) 唯我独尊 (ゆいがどくそん) 」とは、この世に個として存在する「我」より尊い存在はないという意味です。
人間の尊厳を表している言葉ですが、「唯我独尊」はこの世に自分より優れたものなどないという思い上がりの意味でも使いますね。
なんでも、お釈迦様が誕生した時に、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、一方の手で地を指して唱えたという『長阿含経』の話に基づくそうです。
「唯我独尊」ではなく「独立自尊」を体現する
フランスの哲学者・デカルトの『方法序説』に「私は考える。だから私は存在する」と書かれたことから、「我思う、故に我在り」という言葉が生まれました。
あらゆる存在は疑うことができるが、そう考えている自己の存在だけは疑うことができないという意味ですね。
本来、「唯我独尊」は「自分が一番えらい」というような、うぬぼれの意味では使わないものなのですが、どちらかと言えば「自分勝手、独りよがり」というニュアンスで使われることが多いでしょうか。
これを「独立自尊」という言葉に置き換えてみるとどうでしょう?
「独立自尊」は、慶應義塾の創立者である福澤諭吉先生の教えですが、意味としては、人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳を保つということです。
良い意味での「唯我独尊」を貫くためには、「独立自尊」を体現する必要があるわけです。
・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
・・・・・・・・・・・・
(2019.7.17記)