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さて、「今日の一言メモ」第168回です。
「自家薬籠中の物」
「自家薬籠中の物 (じかやくろうちゅうのもの) 」とは、自分の薬箱に入れてある薬品のように、いつでも自分の思う通りに利用できる人や物の例えです。
また、自在に使いこなせるくらいに身に付いた知識や技術の例えでもあります。
唐の元澹が、首相の狄仁傑 (てき じんけつ) に「ご使用になっている薬の一つに、私を加えてお使いになって下さい」と言ったところ、狄仁傑は「君はすでに私の薬籠中のもので、欠かせない人だ」と言ったという『唐書・儒学下・元澹伝』にある故事に基づくそうです。
「鍛錬」=千日の稽古 (☞「鍛」) + 万日の稽古 (☞「練」)
自分の知識や技能を「自家薬籠中の物」として、自在に使いこなすには、相当の鍛錬が必要です。
なぜなら「知っている」「分かっている」のと、「やれる」「できる」の間には気の遠くなるような差があるからです。
何かに秀でるためには、こうしなければいけない、と言われて「ああ、それなら知っている」と答える人は大勢いますが、「毎日毎日繰り返しやってます」と答えられる人は、ほんの一握りでしょう。
かの有名な剣豪・宮本武蔵が著した兵法書である「五輪書 (ごりんのしょ) 」には、「鍛錬」について書かれた言葉があります。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす
千日の稽古で技を習得し、万日の稽古でその技を練り上げる、という意味です。1,000日といえば3年弱、10,000日といえば28年弱という長い期間です。
転じて、一つの技を完全に自分のものにするには、ひたすら毎日繰り返し稽古に励むしか道はないという教えになっています。
引退したイチローは、まさしくその稽古に励み、鍛錬を体現した一人でしょう。来る日も来る日も自らが決めたルーティンを繰り返し、打席に入る動作さえ一つも疎かにしなかったから、あれだけの傑出した選手になったのだと思います。
というわけで、そうそうおいそれと「自家薬籠中の物」とすることはできないことを肝に銘じて、鍛錬に励みたいと思うのです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.7.27記)