(函館山から見た夜景 : 画像出典元はこちら)
さて、「今日の一言メモ」第183回です。
「いつも月夜に米の飯」
「いつも月夜に米の飯」とは、苦労のない気楽な生活のことを指します。また、そうありたいが、現実はなかなかそういかない、という意味もあります。
今では考えられませんが、電気のなかった昔の人にとって月夜の明かりは貴重で、庶民にとって白い米の飯も限られた時に食べるごちそうであったため、それが毎晩続けば申し分ないとされていたのです。
また、そうでありたいとは思うが、なかなかそうはいかずに世の中は甘くないという意味を込めて使われていました。
8月13日は「函館夜景の日」
話は変わりますが、今日は「函館夜景の日」だそうです。「や (8) けい (K=トランプの13) 」の日付語呂合せから、この日に決まったそうです。
高さ334メートルの函館山山頂展望台から市街地を見下ろす夜景は、それは見事です。
縁起でもありませんが、もし東日本大震災の時のような大津波がこの街を襲ったら、この景色も一変してしまいます。
昨日まで当たり前だった景色が、一変してしまう可能性があるわけです。
いつもと変わらぬ日常が宝物
東日本大震災の後は、節電が叫ばれ、暗い夜を久しぶりに経験しましたが、いつのまにか元通りになってしまいました。
また、月夜の明かりや白い米の飯が貴重だった時代は、遠い昔の話になってしまいました。
今や、毎日毎日米の飯が続いたら、飽きてしまう人もいるでしょうし、炭水化物の摂りすぎと怒られるかもしれません。
僕らの世代だったら当たり前だと思うのですが、駅弁のふたを取って、裏に米粒が付いていたら、まずその米粒から食べたものです。(それは今も変わりませんが…)
今、そんなことをしたら貧乏くさい、と言われるのでしょうか。
今年91歳になる僕の母親は、昭和3年 (1928年) 生まれですから、終戦の年である昭和20年には17歳、完全な戦中派です。
戦時中の空襲を経験した母は、灯火管制の中、食料の調達にも不自由し白米を食べるなど夢の中の夢物語だったそうです。
そんな母の、僕が小さかった頃の口癖は、「夜、明るい灯の元で、炊き立てのご飯を頂けるなんて、それだけで幸せ」でした。
小さかった僕は、よく理解できず「ご飯だけじゃなくて、おいしいおかずもたくさん欲しいんだけど…」と思っていました。(^^;
そんな母の思いも、近年の大災害の惨状を見聞きすることで、やっと理解できた気がします。
昨日までと同じ今日、いつもと変わらぬ日常は、実は幅の狭い塀の上を歩いているように、いつ左右に落ちてしまっても、つまり、いつ失ってもおかしくない危うい存在なのかもしれません。
というわけで、今、当たり前に手にしているもの、口にしているものが、どれほどありがたいか、お盆の入りの日に改めて感じている次第です。
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さて、今日はここまでにしますね。
ではまた!
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(2019.8.13記)