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【今日の一言メモ】・・・いつでも明るい灯の下で炊き立てのご飯が食べられることは、当たり前のことではなく、もしかしたら奇跡なのかもしれない

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さて、「今日の一言メモ」第503回です。

「いつも月夜に米の飯」

「いつも月夜に米の飯」とは、月夜と米の飯は、毎日続いても飽きることのない豪勢なものだということを意味することわざです。また、月夜と米の飯さえあれば、この世は極楽であるということも表します。

昔の人々にとって、月明かりは貴重なものであり、米の飯は贅沢なものでした。「いつも月夜に米の飯」は、両者のありがたみを表現しています。

また、「いつも月夜に米の飯」は、苦労のない気楽な生活のたとえとしても使用されます。この意味の場合、そのような生活が送れたらいいという「理想」と、実際はそんなに甘くはないという「現実の厳しさ」を同時に言い表しています。

昨日と同じ今日を過ごせるのは奇跡かも

月夜の明かりや白い米の飯が貴重だった時代は、遠い昔の話になってしまいました。今や、毎日毎日米の飯が続いたら、飽きてしまう人もいるでしょうし、炭水化物の摂りすぎと怒られるかもしれません。

僕らの世代だったら当たり前だと思うのですが、駅弁のふたを取って、裏に米粒が付いていたら、まずその米粒から食べたものです。(それは今も変わりませんが……)今、そんなことをしたらみっともない、と言われるのでしょうか。

昭和3年 (1928年) 生まれの僕の母親は、終戦の年である昭和20年には17歳、完全な戦中派です。戦時中の東京空襲を経験した母は、灯火管制の中、食料の調達にも不自由し白米を食べるなど夢の中の夢物語だったそうです。

そんな母の、僕が小さかった頃の口癖は、「夜、明るい灯の元で、炊き立てのご飯を頂けるなんて、それだけで幸せ」でした。小さかった僕は、よく理解できず「ご飯だけじゃなくて、おいしいおかずもたくさん欲しいんだけど」と思っていました。(^^;

そんな母の思いも、東日本大震災以降の大災害の惨状を見聞きすることで、やっと身に沁みて理解できた気がします。

昨日までと同じ今日、いつもと変わらぬ日常は、実は幅の狭い塀の上を歩いているように、いつ左右に落ちてしまっても、つまり、いつ失ってもおかしくない危うい存在なのかもしれません。

今、当たり前に手にしているもの、口にしているものが、どれほどありがたいか、お盆の入りの日に改めて感じている次第です。

・・・・・・・
さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!

・・・・・・・・・・・・
(2020.8.13記)

富田 邦明

IT関係のコンサルタントをしております。
業務効率化・システム改善だけでなく、経営者視点のリスクマネジメントも同時に行い、人とテクノロジーのシナジー(相乗)効果を最大限にすること、そして、活き活きとした雰囲気で働ける環境作りを目指しています。

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