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さて、「今日の一言メモ」第250回です。
「桃栗三年 柿八年」
「桃栗三年 柿八年」とは、芽が出て実がなるまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるという意味ですね。また、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だという例えです。
果樹を植えたら、その実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでに、それ相応の年月がかかるということです。
「桃栗三年 柿八年」の後に、「梅は酸いとて十三年」「柚子は九年でなりかかる」「柚子は九年の花盛り」「柚子の大馬鹿十八年」「枇杷は九年でなりかねる」などと続けても言うそうです。
「柿の日」
ところで、今日10月26日は、「柿の日」だそうです。
今から124年前の1895年 (明治28年) 10月26日に、正岡子規が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだことに由来しています。
この句は、子規が法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、という意味だそうです。
スーパーなどの店頭でも、いつしか梨の時期は終わり、柿が並ぶ季節となりました。
「再創造 (Re-creation)」を果たすにも長い時が必要
先日のブログ記事にも書いたのですが、2017年の元旦に「投資と再創造 (Re-creation)」を、今後取り組むテーマと定めました。
このテーマに取り組むきっかけは、人生100年時代といわれるきっかけを作った「LIFE SHIFT」という本でした。
この本では、100年ライフをどうポジティブに生き抜くかについて、戦略的な人生設計を指南しています。
その中の一節に、次の言葉があることも先日ご紹介しました。
人生で多くの移行を経験し、多くのステージを生きる時代には、投資を怠ってはならない。新しい役割に合わせて自分のアイデンティティを変えるための投資、新しいライフスタイルを築くための投資、新しいスキルを身につけるための投資が必要だ。
100年ライフの恩恵の一つは、余暇時間の使い方を見直し、消費とレクリエーション (娯楽) の比重を減らして、投資とリ・クリエーション (再創造) の比重を増やせることなのかもしれない。
100年ライフの前提として、「みんなが足並みをそろえて教育、勤労、引退という3つのステージを生きた時代は終わった」と指摘し、これからは、この3つのステージだけではないマルチステージを生きていく必要があると説きます。
そのためには、各ステージを生きるための投資とリ・クリエーション (再創造) が必要だというわけです。
そうして再創造に取り組み出してから2年余り・・・現在も、試行錯誤が続いています。
なかなか次のステージに進める姿には至っていません。まるで、ロケットが地球の引力を脱して成層圏に到達するためには、相当の推力が必要となるかの如く、そして、大型タンカーが進路を変えるには、相当の時間舵を切り続けなければいけないが如く、エネルギーと時間が必要になっています。
60年以上も生きてきて身についた経験則は、毎日の暮らしで役に立ってくれる反面、新たな価値観を受け入れて、内面を再創造するには相当な抵抗を示します。
時に、その経験則とやらが「そんなことをしても無駄ではないのか」と悪魔の囁きを耳元で呟きます。
まあ、その経験則の呪縛に負けないよう、来月からある高額の学びの講座に参加して、半年間みっちり学んでいくつもりですが…
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2019.10.26記)