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さて、「今日の一言メモ」第320回です。
「鏡開きの日」
さて、今日1月11日は鏡開きの日です。
お正月に、神様や仏様に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事です。
神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて、無病息災などを祈り、お汁粉やお雑煮にして食します。
ところで、「年中行事」について、ブリタニカ国際大百科事典では次のように説明されています。
家庭や集団で年々繰返される周期的な行事。特に日本では,稲作を生業の基本としてきた年代が長いので,稲作儀礼を中心として,在来の原始信仰以来の行事と,外来の諸文化に基づくさまざまな行事とが,複雑にからまり合って成り立っている。
つまり、きちんと繰り返される周期的な行事ということですね。
漆塗りのように、繰り返し重ねる
このブログで、何度も何度も繰り返し書いていることがあります。
例えば、「何気ない日常が宝物」という言葉や、「イチロー氏の言葉 (小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています)」などです。
これは、「知っている (分かっている) 」と「やっている (できている) 」の間に大きな違いがあることを痛感しているからです。
ブログを初めて8年以上経ちますが、2014年元旦から毎日更新し続けて7年目に入りました。そして、毎朝新しいブログ記事を書く前に、過去6年間の同月同日にどんな記事を書いていたか読み返しています。
自分で書いておきながら、「あれ?こんなこと書いてたっけ…」とか「結構いいこと書いてるじゃん!」などと思います。
こういうことは、やはり漆塗りのように何度も何度も繰り返し重ねていかないと我と我が身に刷り込まれないのです。
同じことだから書く、でも書き方はある
だからといって「何気ない日常が宝物」と、ただそれだけの言葉を念仏のように書き連ねてもあまり意味はないでしょう。
どんな時に「何気ない日常が宝物」と感じたのか、その出来事を臨場感たっぷりに描きつつ、だからそう感じたのだ、というストーリーが必要でしょう。
「イチロー選手の言葉 (小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています)」にしても、自分がそう実感したのは、どんな時なのか具体的に描写する必要があるでしょう。
そのようにブログに書くことで自分自身に刷り込まれ、結果として「知っている (分かっている) 」から「やっている (できている) 」段階に移行できているのだと思います。
そんな気持ちで「今日の一言メモ」シリーズも、表現を変えつつ同じことを繰り返し書いていることが多いです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.1.11記)