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さて、「今日の一言メモ」第485回です。
「起死回生」
起死回生とは、滅びかっていたものを生き返らせること、絶望的な状態から盛り返すことを表しています。
「起死」も「回生」も、死人を生き返らせるという意味です。
重い安楽死の選択
難病のALS(=筋萎縮性側索硬化症)の女性患者の依頼を受け、薬物を投与し殺害した疑いがあるとして、医師2人が嘱託殺人の疑いで逮捕されました。女性は症状が進む中、ツイッターに「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」などと投稿していました。(こちらの記事参照)
医師の職業倫理から考えれば、いくら本人からの依頼とはいえ、その死に手を貸すのは許されないことでしょう。
でも、いい・悪いの判断を安直に下すには、重いものがあります。自らALSを患う日本ALS協会近畿ブロックの会長の「生きることが当たり前の社会で、私たちは常に生と死のはざまにおかれています。社会はALSなど重度の障害者が生きることを簡単には認めてくれません」という言葉を読むと考えさせられてしまいます。
会長さんは続けて「彼女を死に追いやった医師を許せません。私たちが生きることや直面している問題や苦悩を、尊厳死や安楽死という形では解決できないし、そうやって私たちの生を否定しないでほしいです」と言っています。
自らの天命とはなんだろう
難病のALSを完治させる起死回生の特効薬は存在しないようです。では、自分や自分の家族がALSになってしまった時はどう対処すべきなのでしょうか。
僕は、以下のように考えています。
ALSに限らず現代医学をもってしても完治が難しい病気はいくつもあるでしょう。ガンも早期発見できれば完治も可能になってきましたが、その部位や進行状態によっては治療が困難とされています。
では、その人たちは自分の身に降りかかった不幸を嘆き悲しみながら余命を過ごすしかないのでしょうか。そうではないでしょう。
人間には、それぞれの「天命」があるはずです。天命とは、人間の力ではいかんともしがたい運命や宿命という意味の他に、天から与えられた使命とする考え方もあります。
病気もそうですが、事件や事故など自分の身に降りかかる不幸には、それなりの意味、すなわち「天命」があると思うのです。
昨日は、来年に開催が延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催1年前にあたる日でした。そして、新国立競技場で水泳の池江璃花子選手が全世界に向けて「希望の炎」というメッセージを発信しました。(こちらの記事参照)
池江選手は、自身の白血病という病を克服して2024年パリオリンピックでの活躍を目指しています。その彼女が今回メッセージを読み上げたのは、まさしく彼女の天命だったのだと思います。
自分の身に何か不幸が降りかかってきて、命が長らえたとしたら、何が自分の天命なのだろう、としっかり考えられるようになりたいと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
では、また!
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(2020.7.24記)