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さて、「今日の一言メモ」第672回です。
「命長ければ恥多し」
「命長ければ恥多し」とは、長生きすればする程、それだけ恥をかく機会も多いということを表しています。
中国戦国時代の思想家である荘子が著した『荘子』に「男子多ければ則ち懼れ多し。富めば則ち事多し。寿ければ辱め多し(男の子が多ければ心配事が多い。金持ちになれば面倒事が多い。長生きすれば恥をかくことが多い)」とあるのに基づくそうです。
時を浪費するか、消費するか、投資するか
時間は、金持ちでも貧乏でも、老人でも赤ちゃんでも、どんな人にも等しく1日24時間訪れます。そして、誰も時を早く進められませんし、遅くしたり戻したりもできません。また、時間はお金と違って、貯めることができませんし、明日の1時間を今日前借りすることもできません。
そんな貴重な時間ですが、その使い方はお金と同じように大きく3つに分けられます。
それは、浪費か、消費か、投資か、という分け方です。
お金は浪費を慎み、消費はできるだけ節約し、将来の自分に投資する時はケチケチせず思いきって遣う、という工夫が必要ですね。時間も同じです。
今これから過ごそうとしている時間は、無駄に過ごす時間(浪費)なのか、生きていくために必要な時間=睡眠や食事など(消費)なのか、将来に向けた学び=読書やセミナーなどの学び(投資)なのか、常に考え、賢く時間を過ごすことが必要です。
仕事でいえば、サボっていれば浪費、ただ作業をこなしているだけなら消費、未来を生み出す仕事をしていれば投資といえます。
ただ、適度な息抜き・休憩は、次のプラスのエネルギーを獲得するために必要なものですから、無駄に過ごす時間(浪費)とは言えません。延々とゲームをしたり、意味の無いネットサーフィンをしたりしていれば浪費ですが。
命の長さで幸せは決まらない
僕が、長い間ロールモデルとしてきた方の一人が、故・日野原重明先生です。日野原先生は、元・聖路加国際病院の名誉院長をはじめ数々の要職を務められていて、4年前(2017年)の7月に、105歳でお亡くなりになるまで生涯現役を貫かれた方でした。
その日野原先生が遺された次の言葉が、今でも脳裏に焼き付いています。
「一瞬が連なって一日、一年となり、一生となるのです。」
一瞬一瞬が積み重なって、それがいずれ人生を形作ることになります。そういった意味では、無為に過ごした時間が長ければ長いほど、積み重なるものも少なくなるでしょう。積み重ねてきたことのみが、やがて知らず知らずのうちに年輪を刻むことになるはずです。
「命の長さで幸せは決まらない」と言います。それは、長く生きようと、若くして命を落とそうと、幸せとは生きている間に過ごした時間の密度で決まるということですね。
できるだけ、濃密な一瞬を連ねていきたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.2.19記)