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さて、「今日の一言メモ」第674回です。
昭和天皇「大喪の礼」の日
今から32年前の1989年 (平成元年) 2月24日に、この年1月7日に崩御された昭和天皇の大喪の礼が行われました。「大喪の礼」 (たいそうのれい) は、国の儀式として行われる天皇の葬儀です。
昭和天皇といっても、平成生まれの方々は勿論教科書でしか知らないわけですが、激動の昭和にあって、大きく天皇制の在り方が変わった時代の天皇でした。
特に象徴的な出来事に、あの第二次世界大戦の敗戦が決まった1945年8月15日の正午、昭和天皇の肉声が、ラジオ放送を通じて初めて国民に届けられた、いわゆる玉音放送が挙げられます。
その玉音放送の中で、日本軍の全面降伏を突き付けた連合国側のポツダム宣言を受諾し、戦争を終結することが伝えられたのです。当時、神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が、初めてラジオで放送されると共に、戦争終結が発表されたわけです。
この時以降天皇は一人の人間として、新憲法により国民の象徴と定められていきます。玉音放送前には、この放送を阻止しようとする軍部の一部が天皇の肉声が記録されたレコードを奪取しようと画策したほど、軍部との軋轢もありました。
昭和天皇の英断なくして今の日本はない
ポツダム宣言受託も、御前会議における昭和天皇の英断だったそうです。この時の昭和天皇の英断がなく、ポツダム宣言を拒否していれば、日本は連合国側に蹂躙されて、天皇制が残らないどころか、日本自体が消滅し今頃連合国の一部に併合されていたかもしれません。
敗戦直後、マッカーサーが日本に進駐した時に、昭和天皇は戦争の責任を一身に負うことを表明し、処刑されることを覚悟して、単身マッカーサーの元に赴いたそうです。
マッカーサーは自伝で、その時の昭和天皇の姿に感銘を受け、天皇を処刑すべしという連合国側の方針を覆すべく奔走したと述べています。そういった意味で、昭和天皇の存在は今の日本、そして我々の生活にとても大きな意味を持っていたことになります。
自らの身命を賭して日本の未来を良くする政治家はいるか
令和の時代に、昭和天皇の生き様を伝えることは意義のあることだと思います。そして、昭和天皇に続いた上皇陛下、今上天皇と天皇家が日本に果たした役割の大きさに改めて思いを馳せています。
一方で、今の国会ではこのコロナ禍の中で、首相の息子をめぐる総務省高官の接待問題でてんやわんやしています。日本で一番非難のやり玉に挙がるのが総理大臣ですが、それにしてもレベルが低い問題に思えます。
このコロナ禍も、ワクチン開発が進み順次投与される時期になってきました。まだ、インフルエンザのタミフルのような決定的な治療薬が登場してませんが、やっとアフターコロナが見えてきた段階といえるでしょう。
コロナ前の世界にもう戻らないことは明白なので、アフターコロナの日本の姿をきちんとグランドデザインする必要があるでしょう。そして、それを国民に指し示すことができるのは政治家だけです。
そして、それをするためには(大袈裟に言えば)政治生命を賭けて(身命を賭して)日本の未来を良くするのだ、という覚悟が必要だと思うのです。それだけの人物がいて欲しいと切に願っています。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.2.24記)