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さて、「今日の一言メモ」第693回です。
ゴッホの「ひまわり」
今日3月30日は、今から34年前の1987年(昭和62年)に、安田火災(現・損害保険ジャパン日本興亜)がゴッホの「ひまわり」を58億円で落札した日です。時は、まさにバブル景気の絶頂期に向けて、日本が異常な雰囲気に包まれている時でした。
日本のバブル景気の期間は、1986年(昭和61年)12月〜1991年(平成3年)2月までの4年3か月(51か月)間を指します。この期間は、株式や不動産を中心にした資産が過度に高騰し、経済が膨張しました。
日経平均株価が、1989年(平成元年)12月29日の大納会には、史上最高値38,957円44銭を付け、いわゆる資産価格のバブル化現象が明白になった時期です。
赤信号、みんなで渡ったら恐いことになった
あのバブル期には、東京の皇居の土地価格でアメリカのカリフォルニア州全部の土地を買えるとか、山手線内側の土地価格でアメリカ全土を買えるとか言われていました。それを聞いたアメリカ人が「クレージー!」と驚愕したのに、日本人はなんとも思わなかったとか。
当時の銀行は、企業経営者に事業に必要でもない土地を買わせて、その購入資金を融資しようとしました。返済は土地を高額転売して得たお金でいいからと。いわゆる土地転がし、不動産による財テクを金融機関が堂々と勧めていたのです。
不動産や株式による財テクをしない経営者は、無能呼ばわりされていたほどです。このバブル経済は、1986年(昭和61年)12月〜1991年(平成3年)2月までの4年3か月(51か月)間を指します。
そして、その後バブルは弾けて暗黒の10年とも20年ともいわれる低迷期が続くことになります。
どうしたら皆が渡る赤信号で止まれるか
深夜あるいは早朝に、誰もいない道の横断歩道で車が1台も走っていなければ、歩行者信号が赤でも渡ったことは、きっと誰でもあると思うのです。でも、昼間で往来が激しければ誰も赤信号を渡ろうとはしないでしょう。
あのバブルの時期は、冷静に考えればどう考えてもおかしい事態が起こっていた(つまり皆で赤信号を渡っていた)わけですが、もしあの時、これはおかしいと指摘していたら、指摘した方が「おかしくてアホ」扱いされたことでしょう。
ちょうど今日は、厚生労働省の官僚諸氏が23人もの大人数で送別会を開き、深夜遅くまでマスクもせずに大声でしゃべりながら宴会をしていたことが大きく報道されていました。
この時期に厚労省の人間が、なんでそんなことができたのか呆れるばかりですが、その場の同調圧力が強かっただろうことは容易に想像できます。きっと何人もそんな送別会には参加したくなかったはずです。
でも、官庁という独特のムラ社会の論理が参加を拒むことを許さなかったのでしょう。こんな風に報道されて、イヤイヤ参加した人はきっと臍(ほぞ)を噛む思いをしているでしょうが、後の祭りです。
こうした同調圧力から逃れるためには、一人孤立無援で立ち向かうのではなく、他に一人でも多くの仲間を作ることしかありません。何人かで声を上げれば、少なくともマスク会食をして21時には解散できたかもしれません。
会社や組織の論理に一から十まで抵抗することは不可能でしょうが、ここは譲れないという「最後の一線」をひいておくことは必要でしょうね。
それにしても、なんと人間は同調圧力に弱いものかと思います。でも、そこをなんとか踏ん張りたいものです。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.3.30記)