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さて、「今日の一言メモ」第821回です。
「津波防災の日」
さて、今日11月5日は「津波防災の日」です。10年経っても、まだ記憶に新しい2011年(平成23年)の東日本大震災を契機として、「津波対策の推進に関する法律」が2011年6月に制定されました。この法律で、11月5日が「津波防災の日」と定められたのです。
この日になった理由は、今から167年前の1854年(安政元年)11月5日に発生した、安政南海地震の津波の際に、人々を高台に誘導するために稲に火をつけたという「稲むらの火」の逸話にちなんでいます。
この逸話のもとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事で、主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛だそうです。物語の概要は、以下の通りです。(出典 : Wikipedia)
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。
祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。
火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、熱いものでも飲み込んでしまったら(喉元のあたりを過ぎてしまったら)、その熱さを忘れてしまうことから、苦しいことも過ぎてしまえば、その苦しさも簡単に忘れてしまうという意味になりました。
あれから10年、あれだけの大震災でも忘却の彼方にしそうな自分がいます。自分が直接の被災者ではないからでしょうか。
自分の大切な人や自宅を津波で失った方々にとってみれば、10年ごときの年数で癒える悲しみではないと思います。
でも、喉元過ぎれば熱さを忘れることができるのも人間です。これまでのすべての苦しみや痛みを鮮明に覚えているとしたら、とてもつらく悲しい人生になってしまいます。
忘れることで初めて前に進むことができるのかもしれません。「日にち薬」とは言い得て妙だと思います。
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さて、今日はここまでにしましょう。
ではまた!
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(2021.11.5記)